Creepy Nuts(R-指定&DJ松永) の『 助演男優賞』のコレじゃない感について
フリースタイルダンジョンなどで活躍するR-指定とその相方のDJ松永のユニット、、Creepy NutsのMVについては、過去2作品は非常に楽しく見させてもらったのだけど、今回の新曲のMVは乗れないなぁと感じてしまった。
新曲『助演男優賞』のMVはYoutubeで公開されているので誰でも見ることができる。
このMVを見て、素晴らしいと感じる人もいると思う。実際、一流のスタッフを集め、知恵を振り絞り、それなりの金と労力をかけた結果なのだろう。だが、それでもやはり、このMVについては手放しに褒められない何かがあると感じたので、その理由についてアレコレ考えてみた。
Creepy Nutsの過去のMVを振り返る
今回のMV『 助演男優賞』について検証する前にまず、過去のCreepy NutsのMVについて振り返りたい。こちらもYoutubeで見ることができる。
『みんなちがって、みんないい。』
Creepy Nuts(R-指定&DJ松永) / みんなちがって、みんないい。【MV】 - YouTube
『みんなちがって、みんないい。』は、ラッパーを取り巻く状況を揶揄したMVである。このYoutubeを初めてみた時は、若いのにこんな感性を持っているラッパーがいるのかと、心底驚かされたものだ。
このMVの何がそんなに優れているのかというと、第一にこの曲には絶対的なオリジナリティーがある。ラップ業界の内幕という一部の人間しか知りえないことをネタに、彼らなりの解釈を加えて描いているので、他人には決して真似できないMVに仕上がっている。
第二にこのMVが優れているのは、コアなラップファンとラップについて全く知識が無いような層のどちらにも届く内容になっていることである。例えば『みんなちがって、みんないい。』では、ファンモンという紅白出場経験もあるようなグループと、呂布カルマのようなニッチなラップファンにしか分からないラッパーをどちらも取り上げている。だから、間口が広く、かつ奥が深い曲に仕上がっている。
第三に単純にMVとして面白い。R-指定には、ラッパーを形態模写するセンスがあるし、歌詞に関してもストレートに他のラッパーを批判するのではなく、彼らが置かれている状況について考えさせるような構造の曲になっている。
以上のような点で私は『みんなちがって、みんないい。』は良いと思った。
『合法的トビ方ノススメ』
Creepy Nuts(R-指定&DJ松永) / 合法的トビ方ノススメ 【MV】 Clean Ver. - YouTube
続く『合法的トビ方ノススメ』にに関しても好意的に受け取っていて、コレは歌詞の内容の方は大したことは無くて、要約すると「クスリよりも音楽の方が楽しいよね」とか「音楽こそが自分たちにとっての最高のドラッグなんだ」みたいなことを言ってる。それ自体は凡庸なんだけど、MVの出来とトラックが非常によく出来ていて、女子高生がドラッグや援交に手を染めようとしているシーンとR-指定とDJ松永がその場に現れて歌い踊るシーンとで構成されているのだが、前者のシーンの質が非常に高い。これは解説するまでもなく見てもらうのが一番早いだろう。
そういうわけで、『みんなちがって、みんないい。』、『合法的トビ方ノススメ』について振り返ったので、問題の『助演男優賞』について語っていく。
『助演男優賞』
このMVが他の2つのMVと大きく違う所は、物語性が強いということだ。簡単にストーリーを追っていくと、まずうだつが上がらないCreepy Nutsの前に、敏腕女性プロデューサーが現れ、イケメン二人を彼らの代役にしたうえで、様々なメディア戦略を駆使してプロモーション活動を展開する。その結果、Creepy Nutsは絶大な人気を獲得する。もちろん本物のR-指定とDJ松永は代役の陰に隠れて辛酸を舐めることに。しかし代役の二人のスキャンダルが発覚したことで、人気は一気に凋落し、本物のCreepy Nutsはその責任を取らされ、所属する会社を追い出される、というものである。
まず、このストーリーが滅茶苦茶つまらないのが致命的である。最終的に代役が失敗するという何のひねりも無い、勧善懲悪的な展開になっており、「え!?結局この結末なの?」という残尿感ばかり残る。
そして、扱っている題材も芸能人の不倫や薬物問題といった、俗なものばかりで、彼ら自身の視点が全く反映されていないことも問題だ。芸能人のスキャンダルをこき下ろすことなら一般人でもできるわけで、わざわざ彼らがそのレベルに降りてきて、MVを見る人間の留飲を下げさせる必要などあるだろうか。ここには、『みんなちがって、みんないい。』にあるようなオリジナリティがないのである。
そのうえトラックにも、過去2作品に感じられたようなこだわりが感じられない。このMVでは、トラックがストーリを語るための道具のような扱いで、トラックそれ自体の魅力が決定的に欠けている。
まとめ
そういうわけで、私はこのCreepy Nutsの新曲『 助演男優賞』のMVに対して「コレジャナイ…」と思ってしまうわけだ。結局、私がCreepy Nutsに感じていた魅力というものは、一部の人間にしか分からないハイコンテクストなものと、誰ても分かるローコンテクストなものを一つの曲の中に両立させるセンスの良さ、これに魅かれていたわけである。
でも、今回の『 助演男優賞』のMVは、大衆的なもの、ローコンテクストなものばかり目立って、ハイコンテクストなものがすっかり消え失せているように感じられる。それは結局、『みんなちがって、みんないい。』で彼らが揶揄していたファンモン(FUNKY MONKEY BABYS)的な感性に非常に近いと思うのだが、そのことについてCreepy Nutsの2人はどれだけ自覚的なのか。
ネタ切れということもあると思うし、もっと一般受けするものを作りたいという考えもあるのかもしれないが、『助演男優賞』みたいな曲なら、別に他のアーティストが作ってもいいわけで、個人的には過去2作ほどの魅力を感じないというのが私の結論である。
で、ここまで書いておいてなんだけど、Creepy Nutsを見限ったとかそういうことでは全然ない。期待値が高いからこその批判なわけで、彼らには『みんなちがって、みんないい。』と『合法的トビ方ノススメ』を超える作品が作れるだけのポテンシャルがあることは間違いない。だから、安易に「あるある的感性」に訴えるのではなく、「なんだか自分にはよく分からない。だけど凄い!」と思わせるような作品を作ってほしい。私が望むのはそれだけである。
音楽関係について語った記事
2016年紅白の曲の中で聞いたことが無い曲を聞いてみた-桐谷健太、五木ひろし、AI、AAA、miwa、E-girls
主観的にA~Eの5段階で評価。あくまで主観的。
桐谷健太『海の声』評価D
BEGINの人が作曲をやっているとのことで、確かにBEGINっぽいのだけど、BEGINよりもずっと歌詞に特徴が無いというか、飲み込みやすい歌詞になっていて、それをどう評価するかだと思う。BEGIN並みに、アクの強い感じだったらCMにも使われたなかった可能性もあるし仕方ない部分もある。残念ながら紅白で普通に歌っても印象には残らないだろう。
続きを読むイエモン&椎名林檎、2016紅白の曲発表。『JAM』はいろいろ大丈夫なの?
2016年の紅白で聞きたい椎名林檎の曲5選
今年の椎名林檎を振り返ってみた時、「今年はこの曲!」っていう曲があったかと考えてみても全然思い浮ばない。『長く短い祭』がヒットした去年とは全く状況が違うのだ。
それでも昨年に引き続き、彼女は今年も紅白のメンバーに選ばれた。そして、もちろんいずれかの曲を歌うわけで、じゃあ何を歌うのかという点が問題になる。
彼女が今年一番注目を浴びたのは、もちろん企画、演出を務めたリオ五輪の閉幕式の引継ぎセレモニー関連の話題においてである。
だから当然オリンピックに関連のある曲が選出される可能性が高いわけだが、そうなるとやはり一番有力なのは『NIPPON』ということになる。
NHKのサッカー関連番組のために書き下ろされたという本曲は、2014年の紅白でも演奏されたので、覚えている人も多いだろう。しかし、一昨年にすでに演奏されたという点では新鮮味に欠けるとも言える。同様の理由で昨年の『長く短い祭』も、敬遠されるだろう。
そうなると一番有力なのは『カーネーション』ということになる。五輪との関連は薄いが、スローテンポで、NHKの朝ドラのOP曲でもあったこの曲ならば、お年寄りにも受け入れられやすい。また以前紅白で歌われたのが2011年なので、ほどほどに新鮮味がある。個人的な予想としては、この『カーネーション』の可能性が一番高いと考えている。
『カーネーション』が選ばれると予想する理由はもう一つあって、それは、この曲には政治性がほとんど感じられないからである。椎名林檎は、その姿勢が右寄りすぎるということで、最近は一部からの批判を浴びている。
こういう見方が拡がるのは、椎名林檎にとってもNHKにとっても、損である。だから歌詞が民族主義的と指摘される『NIPPON』は分が悪い。だが『カーネーション』ならば、問題にならなくて済む。
そういうことで、『カーネーション』が今年の紅白の最有力だと、筆者は考えているのだが、それとは別に個人的に紅白で聞きたい椎名林檎の曲についてランキング形式で書いていくことにする。
第5位 『あおぞら』
全然椎名林檎っぽくない爽やかな曲。作風的に近いのは、『幸福論』くらい。サントリーのCMで流れたのでそこそこ有名だと思う。と言ってもサビが一瞬流れるだけなので、わからないかも。
第4位 『自由へ道連れ』
東京事変っぽさが色濃く残るアップテンポな曲。深い意味があるようでない歌詞が素晴らしい。もし生演奏するのなら、ギターソロは絶対に飛ばさないでほしい。これは『ホテル・カリフォルニア』に匹敵すると言ったら褒めすぎか。あとはPV(MV)の小松菜奈も出してくれたら言うこと無し。
第3位 『闇に降る雨』
バイオリンのイントロが印象的な曲。Wikipediaによると
椎名曰く「私の中での演歌的な部分を全部集めたような曲」とのことで、完成曲を「これって森昌子じゃん」と思ったという。またインタビューでは、サビの「雨だろうが運命(さだめ)だろうが」というフレーズに「当時よくこんな事言えたなぁ」と話している。
とあるように、昭和の歌謡曲のような暗い情念にみちた曲。個人的には藤圭子を思い出した。年々、演歌、歌謡曲の割合は減り続けているので、その成分を椎名林檎で補うのもいいかもしれないと思ったので第3位。
第2位 『歌舞伎町の女王』
THE椎名林檎と言ったらこの曲、という認識はとっくに廃れているのかもしれない。でも『本能』や『罪と罰』が、半分がPV(MV)の力でヒットしたのに比べて、この曲の場合、歌詞が持つ世界観がPVのそれを遥かに凌駕している。それくらい、強烈で唯一無二の曲である。よく爆笑問題の太田がネタにしていることでもおなじみ?
第1位 『夜明けの歌』
3.11の1か月後にYoutubeでひっそりと公開された動画で歌った曲。オリジナルは1964年の岸洋子の代表曲。公開された時期的にある種の鎮魂歌的な意味合いを持っていたと考えられる。その当時の騒々しい雰囲気もあって、さほど注目されなかったが、彼女なりに震災に向き合い、アーティストとして被災者に対して何ができるのかを考えた結果がこの曲なのだと思う。あの大震災から5年。オリジナルが偉大すぎてなかなか難しいとは思うが、メモリアルな年の締めくくりに、これ以上ふさわしい曲はないのではないか。
まとめ
結論としては、椎名林檎の多面的な魅力を引き出せる曲ならなんでも構わないと思う。ただ、できることならあんまりオリンピックを強調せずに、いちアーティストとして魅せてくれるような演出の方が好ましい。いちファンとしては。
THE YELLOW MONKEY版も書いた
紅白でイエモンに歌ってほしいけど、諸々の事情でたぶん無理な曲BEST5
紅白でイエモンに歌ってほしいけど、諸々の事情でたぶん無理な曲BEST5
独断と偏見の5位から1位までを発表する。項目は上から、曲名、歌詞(別サイト)、紅白で歌えない理由、その曲についての解説の順である。
※動画については、公式動画のみ張るので、どうしても曲が気になるという方は動画検索で探せば見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。
第5位 LOVE LOVE SHOW
歌詞:THE YELLOW MONKEY/歌詞:LOVE LOVE SHOW/うたまっぷ歌詞無料検索
理由
ロマンチックすぎる
解説
ロマンチックといえば聞こえは良いが、イエモンのロマンチックは度が過ぎる。「雨が続いて カミナリ鳴って 山が火を噴き 海が荒れても あなたのために 歌を歌おう 今夜はとても キレイだよ」なんて歯が浮くような歌詞は、普通の歌手は歌えない。加えて、『LOVE LOVE SHOW』には、けっこうストレートな性的表現もある。
Wikipediaによると、吉井はカラオケで歌われることを意識して作詞・作曲をしたと語っているが、本人は良くても、カラオケに同席した人たちは困るだろう。ただ、すべて何かの比喩ですと言い切ってしまえば、紅白でも歌えないことは無いような気がするので5位。
第4位 離れるな
歌詞:THE YELLOW MONKEY/歌詞:離れるな/うたまっぷ歌詞無料検索
理由
病的すぎる
解説
紅白ではすっかり常連になった椎名林檎も、デビューしたての頃は、病的かつエキセントリックな雰囲気で話題を集めた。『ここでキスして』や『本能』のころの病的なオーラはだいぶ控えめになったが、今でもエキセントリックさは健在で、紅白で毎回視聴者を楽しませている。本当かどうか分からないが、Wikipediaによると、その椎名林檎がファンは、イエローモンキー、吉井和哉のファンだったらしい。
その噂が本当だと思えるほど、吉井和哉という男は、重く、胸が苦しくなるような歌詞を書くのが上手い。そして5位の『LOVE LOVE SHOW』もそうだが、この曲もシングルのタイトルとして発売された。こんな暗い曲をよくA面に持ってきたな、と驚くが、これについてはレコード会社の判断で、メンバーは反対していたとのこと。妖しさとムンムンとした熱気が漂っていて、犯罪映画のOPにでも使われそうな曲。紅白で聞いたら、そのあと悪夢でうなされそう。
第3位 TVのシンガー
歌詞:THE YELLOW MONKEY/歌詞:TVのシンガー/うたまっぷ歌詞無料検索
理由
ペシミスティックすぎる
解説
イエモンの曲には、ペシミスティック(悲観的)なものはたくさんあるが、この曲は、自己言及的なところが特徴的だ。自らが所属する音楽業界、芸能界、ミュージシャンに、そして自分自身に毒を吐きまくっている。このご時世、この曲を紅白で歌ったら、被弾する芸能人、有名人はたくさんいる。まず薬に関してはもう言うまでも無い。「でっかい車 ちっちゃな肝っ玉」もつい最近あった。「常に性的な欲望だらけ」はゲス不倫として流行語にもなった。紅白で歌ったら話題にはなるが、毒が強すぎる。それだけでなく、三女一男を設けた嫁と離婚し、真鍋かおりと再婚した吉井自身も被弾する可能性がある。まさに諸刃の剣である。
第2位 NAI
歌詞:THE YELLOW MONKEY/歌詞:NAI/うたまっぷ歌詞無料検索
理由
エキセントリックすぎる
解説
この曲はちょっと他の曲と違って特殊だ。解散前のイエモン特有の暑苦しさがこの曲には無い。どちらかというと、吉井和哉がソロの時に歌った曲のような緩さがある。しかし、鬼気迫る何かがあるという点で、吉井和哉のソロ曲とも異なっている。よく幻覚剤のLSDを摂取して、創作活動を行うと、斬新な作品が作れるという話を聞いたことがあるが、NAIもそいういうふうにして作られた作品じゃないかと疑ってしまう。
Wikipediaによると、この曲は「性器を持たない男性と女性の報われない愛を描いている」とのこと。そういわれると、そんな感じもしてくる。この異様さを分かってもらうには上のリンクから飛んで、直接歌詞を見てもらった方が早い。
第1位 HOTEL 宇宙船
歌詞:THE YELLOW MONKEY/歌詞:HOTEL宇宙船/うたまっぷ歌詞無料検索
理由
性的すぎる
解説
歌詞を見てもらえば分かるので解説する必要は無いと思う。『バラ色の日々』や
『砂の塔』を聞いて、正統派のロックバンドだと思い込んでしまった方々には申し訳ないが、ザ・イエローモンキーというのは基本的にこういうグループである。ちなみに、1番と2番の歌詞のあいだで「ほしぶどうー」という声が入るが、上の歌詞サイトでは省かれている。なぜだ。
まとめ
残念ながら紅白ではたぶん無難な選曲がなされるだろう。今年発売された『砂の塔』で十中八九決まりで、次点で再結集後に作られた『ALRIGHT』だろうが、解散前の曲だとしても『楽園』や『バラ色の日々』のような、ある程度ヒットした王道の曲に限られる。大穴で『JAM』の可能性もあるかといったところか。(追記:歌詞「外国で飛行機が落ちました」があるので『JAM』は無いですね)
予想通りの無難な曲が選ばれた結果、イエモンは90年代を代表する伝説のアーティストとして祀り上げられ、再評価が進むかもしれない。でも、それはそれで当時を生きたイエモン好きとしては結構違和感がある。
というのも、当時イエモンの上には常にGLAYやミスチルやサザンがいて、売上という点でイエモンは彼らに遠く及ばなかったからである。そういうことで、実際イエモンがトップランナーだった時代など全くなかったのだから、彼らを「90年代を代表する」と評することは不正確だし、失礼なことだとさえ思う。
それでは解散前のイエローモンキーとは、本当はどのようなロックバンドだったのか。私は本物のイエモンファンからすれば、ファンを名乗る資格の無い人間だとは思うが、イエモンがどのようなロックバンドだったかを、主観全開で書いてみると以下のようになる。
彼らは、中性的な魅力を全面に押し出したバンドとしてキャリアをスタートさせ、いわば中性的な容姿、言動を売り物にしてのし上がったグループのひとつだった。しかし、中性的、色物的な魅力は、メジャーになった後の彼らには重荷になった。そのことは彼らの曲を聞いてる立場の人間からでも分かった。
ビジュアル系というカテゴリーは、その言葉が生まれた段階ですでに侮蔑的な意味を持っていたが、その意味を肯定的に受け取るグループもいた。ビジュアル系というカテゴリーが生まれ前からずっと、イエモンはあのスタイルだったが、否応なくビジュアル系の仲間として括られることになった。これにメンバーが忸怩たる思いを抱いていたことは容易に想像できる。
そのことがグループの解散につながったというのは邪推だが、ソロ活動を開始した吉井和哉(イエモンの時はロビンと呼ばれていた)が、服装や曲調をガラッと地味なものに変えたのは事実である。吉井の変節は、イエモンファンをふるいにかけることになり、結果、彼らの大半が吉井和哉に失望し、聞き続けることを辞めた。私もそのひとりである。
話が横道にそれたが、以上のことからも分かる通り、イエモンは王道を往くロックバンドでは無かった。また売り上げという客観的な数字の上でも、GLAY、サザン、ミスチル、さらにはB'zやラルクにも及ばなかった。そう考えると、90年代を代表するロックバンドという呼び名がいかに正当なものでないか、は分かってもらえるだろう。
彼らが伝説足り得る理由があるとすれば、それは、誰が言ったか知らないが「産業ロック」という言葉では、とても回収できない、過度にロマンチック、病的、ペシミスティック、エキセントリック、性的な曲や詞を多く残し、さらにはヒットさせてしまったこと。そういう理由以外に考えられない。
そして売上と自分たちの路線との間の葛藤に引き裂かれながらも、彼らは最後まで自分たちの出発点であるところの主義主張を貫徹した。その証拠に、メンバー監修で製作された最初で最後のオールタイムベスト・アルバムである『THE YELLOW MONKEY MOTHER OF ALL THE BEST』には、上に挙げた5つの曲全てが収録されている。
以上より、語弊を恐れず、解散前のイエローモンキーというグル―プを一言で表すならば、変態ということに尽きる。変態の持つ最大の特徴は、それを享受する人々の社会生活にプラスの影響ををもたらさないことだ。
実際、イエロ・モンキーの曲が持つ、ロマンチック、病的、ペシミスティック、エキセントリック、性的な部分は、何か人の役に立つわけではない。『テレビのシンガー』や『NAI』を聞いたところで、気分転換になったり、意中の相手に告白できるようになったり、失恋から立ち直れたり、自分には見守ってくれる仲間がいるからそれで十分じゃん、という気持ちになれるわけではないのである。
しかし、そのことがイエモンと同時代にいた他の人気アーティストとを分けている。イエモンぐらい変態になりきれたロックバンドは他にいなかった。イエモンほど消費の対象となることを拒んだロックバンドは他にいなかった。そして、イエモンの生み出した変態は、機能的でない代わりに、ただただ美しかった。イエモンが伝説的と呼ばれる理由があるならば、そのことぐらいだと私は思う。
皮肉なことに(ある意味では当然なのだが)、イエモンが解散し活動をしていなかった十数年の間に、GLAYやミスチル、サザンが凋落した結果、イエモンに期待する声は大きくなってしまった。それゆえ、今年の紅白が彼らにとっての大勝負となることは間違いない。往年のイエモンファンは90年代のパフォーマンスを期待するだろうし、イエモンを知らない世代の中にもYoutubeの動画で見て、彼らに同世代とは違う何かを見出している人がいるかもしれない。
ただ残念ながら、ザ・イエローモンキーがそういった期待に応えられるかは疑問である。事実上の解散から15年経っているのだから、それは無理というものだ。15年というと、当時5歳の子供は今は20歳だし、解散時30代半ばだったイエモンメンバーは今や50歳前後となっている(それでも髪型や体形が当時とほとんど変わって無いのは奇跡的といえる)。
加齢による衰えは必然で、ロビン(吉井の愛称)による歌もエマ(菊地英昭)、ヒーセ(廣瀬洋一)、アニー(菊地英二)らによる演奏パフォーマンスも、現実的に考えて、90年代を上回ることはないだろう。当時との比較を恐れるなら、昔の曲よりも『砂の塔』『ALRIGHT』を選んだ方が無難だ。今の彼らでは「伝説」の再現は難しいからだ。
ただ、その選曲では今のイエモンの魅力しか伝わらない。ただのイエモン好きとしても、それでは全く不満なのである。「今のイエモンには、昔のイエモンには無い魅力がある」という意見にはまったく同意できる。でもそれだけじゃダメだ。今のイエモンの曲には変態が明らかに足りない。また、「昔のイエモンは凄かった、それを見せてやりたい」っていう懐古厨的な欲望は自分にもある。でもそれだけでももちろんダメ。
結論としては、今のイエモンの良さを最大限引き出しつつ、自分のようなファンのために、90年代の名残も見せてくれないと完全には納得できないということになる。この大きすぎるハードルをクリアするための方法はただ一つで、メドレーで再結集後の曲と解散前の曲とをそれぞれ歌うことだ。その中には、ぜひ上に挙げた5つの曲のうちの1曲でも選んでもらえれば非常にうれしい。『HOTEL宇宙船』は無理でも『LOVE LOVE SHOW』くらいはいけるんじゃないかと。明るい曲だし。
とにかくイエモンの真骨頂は変態で、それができないというなら、紅白に出る意味はほとんどない。あまり奇異なことをしたら、いつかの気志團のように叩かれることになるかもしれないけど、紅組の相手が林檎姉さんなら多少は相殺されるから、『HOTEL宇宙船』でもいけないことは無いと思う。
次はイエモンに本気で歌ってほしい曲で、紅白で歌われる見込みのある曲について、書けたら書く。(続くかもしれない)
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