ワクチン、葬式、オリンピック ー2021年8月

  8月は忙しかった。いや、正確には7月の後半からか…

 

 住んでいるところがかなり田舎なので、65歳以下でも早々にワクチン接種を受けられた。しかし、ワクチンを受けたら受けたでいろんなことができなくなった。というのも、母がそういうことには人一倍うるさく、あれこれ言われるのが嫌なので何か言われる前に外出を控えたりした。その結果、それまでルーティーンとして毎日やっていたジム通いや勉強もできなくなってしまった。大きな誤算だった。

 

 それだけにとどまらず、2回目のワクチンを受けてから数週間後に祖父がワクチンを受けたいと言い出し、送り迎えなどをしなければならなくなった。さらにその数日後、親族がなくなり1週間ほどは火葬や葬儀で忙しく会社も休まねばならなかった。式ではよく知らない人と交流せねばならず人疲れした。

 

 コロナの実害があったわけではないのに、厄介な1か月だった。今振り返ると、この1か月を乗り越えられたのは、五輪による部分が大きいかもしれない。五輪の期間中は気分が落ち込まずに済んだ。ふつうの精神状態ならコロナ禍の五輪に乗れなかったかもしれない。でも、そのときの精神状態には異様にフィットした。

 

 それでも開会式と閉会式は見れなかった。父と母がリビングで見ているので視界には入ってくるのだが、ちょっと見ただけで「あーこれはダメだ」と判断できてしまうような内容だった。こういうものが日本の文化芸術の集大成として世界から見られていると想像するとゾッとしてしまった。

 

 たぶん世の中の仕事には外注でどうにかできるものとできないものがあって、文化や芸術は外注でどうにかできないものなのだと思う。そして日本は外注できないものを扱うのがとても下手なんだろう。だから組織の内部で人を育てなければいけないのだが。そこにリソースを割こうとする人が少ない。五輪の開会式・閉会式には日本の問題がたくさん詰まっていると感じた。