シンエヴァンゲリオンの凡庸さ

【ネタバレあり】

 

 

 

 シン・エヴァンゲリオンの前半を見ているときはずっと泣いていたが、理由は自分でも分からなかった。

 

 今振り返ると、それはエヴァで描かれるはずがないと思っていたシーンに対する涙だったのだと思う。凡庸な物語が、凡庸な風景のなかで展開する。これまで凡庸さを遠ざけてきたエヴァが、その境地にたどり着いたことに感動した。

 

 序や破の舞台となる第三新東京市でも日常は描かれていたが、それは使途が襲来する脅威と隣り合わせの「非日常の中の日常」だった。一方、今回の映画の舞台となる第三村は差し迫った脅威がない。

 

 恵まれた環境の中、綾波レイのクローンは労働や住民とのコミュニケーションを通して人間的な成長を遂げ、シンジはアスカやレイ、昔の友人に見守られて鬱状態から回復する。この辺の時間の流れ方に製作者の善意を感じた。

 

 正直、映画としての質という観点から言えば、もっと良い結末はいくらでもあったと思う。しかし登場人物に敬意を表するという観点から言えば、これ以上の終わらせ方はなかったのではないか。

 

 エヴァンゲリオンというシリーズが「終わる」のではなく「終わらせる」。そういう決意が強く伝わるのが良かった。