行政主導で文化は生み出せるのか?八戸ブックセンターの試みと問題点
2016年12月4日に青森県の八戸市で八戸ブックセンターという施設がオープンした。この、露骨に八重洲ブックセンターをパクった意識したような名前を持つこの書店の最大の特徴は、その運営主体が八戸市という自治体だということである。
運営コンセプト
公式HP(八戸ブックセンター)によると、この施設の運営コンセプトは
八戸に「本好き」を増やし
八戸を「本のまち」にするための
あたらしい「本のある暮らしの拠点」
とのことである。
方針
具体的には
方針1 本を「読む人」を増やす
方針2 本を「書く人」を増やす
方針3 本で「まち」を盛り上げる
という3つの方針がある。
企画・イベント
実際にやっていることは
①セレクトブックストア
②カンヅメブース
③読書会ルーム
の3つが主のようだ。その内容は
①専門家がおすすめの本をチョイスしてポップなどをつけて並べる
②作家になりたい人が創作活動に集中できるためのスペースを提供する
③ブックセンター主催、または市民の依頼によって読書会を開催する
ということだ。
感想
率直に言って、なぜ地方自治体がこのような施設の運営に税金を投入しなければならないのか分からない。既存の図書館や教育機関ではダメなのか。民間ではその役目を果たせないのか。現状では、そういった必要性への疑問にうまく応えられていないように見える。
実際に行っていることを見ても、①のセレクトブックストアは普通、民間の書店が通常業務の一環としてやっていることだ。②に関して、作家活動に公の支援が必要だという話も聞かないし、支援したからと言って作家がぼこぼこ生まれるわけじゃないだろう。③のいわゆる「読み聞かせ」に関しては、普通自治体の図書館がやっていることで、わざわざここでやらなきゃいけない理由はない。
つまり、現状を見る限りでは、八戸ブックセンターを「公」が運営しなければならないような道理はどこにもないのである。
一方で、この手の施設が必要な理由は痛いほど理解できる。なぜなら八戸には他の都市と比較して、文化資源が圧倒的に足りていないからだ。つまり八戸市は文化的に非常に貧しい都市だからである。
文化的に貧しい都市、八戸の特徴
八戸市が文化的に貧しい理由はいくつかある
- 県庁所在地ではない
- 歴史的な積み重ねが少ない
- 公立大学が存在しない
- 大型書店が存在しない
なぜ、八戸は文化的に貧しいのか。それは近隣の都市(青森、弘前、盛岡)と比較してみればよくわかる。
①県庁所在地ではない
まず基本的なところから始めると、八戸は県庁所在地ではない。青森県の県庁所在地は、もちろん青森市である。だから県の主要な機関は青森市に集中していて、国の地方機関も少ない。加えて、テレビ局が無いのもでかい。
②歴史的な積み重ねが少ない
弘前は津軽藩の城下町として有名な一方、八戸も八戸藩という藩の城下町であったが、その規模は小さく、弘前城のような有名な史跡も残っていない。歴史的な有名人も太宰治などを産んだ旧津軽藩の地域よりも格が落ちる。
③公立大学が存在しない
若者がいないから、新しい文化が生まれる余地が無いし、大学が無いから専門書の売り上げも少ない。あと大学図書館のような施設が優秀な司書を雇うことによって得られる恩恵も受けられない。
④大型書店が存在しない
ジュンク堂や丸善のような大型書店が存在しないので、専門書を購入する必要性があってもAmazonなどを使って取り寄せることが必要になる。
以上4つの理由から、八戸は文化的に貧しい都市となっている。文化資源の貧しい都市からは若者が逃げていく。若者が逃げていく都市は今後衰退していくのみである。だから文化的に豊かな都市を目指すという方針は圧倒的に正しい。
だが八戸ブックセンターのやり方を見ても、その方法が目的にどれだけ貢献しているかを考えると否定的に語らざるを得ない。結局この方法では文化は生まれないだろう。
文化的に豊かな都市を作る方法
実現可能性を無視して、私が文化的に豊かな都市を作る方法を考えると以下のようになる。
Ⅰ公立大学を作る
小規模でも良いので、文系の学部を中心とした公立(市立)大学を作る。大学には全国各地から若者が集まるし、大都市で学んだ教授も集まるので、文化的な多様性が生まれる。加えて、大学図書館を設置し、司書を配置することにより、公立図書館ではできないサービスを実現できる。
Ⅱ大型書店を誘致する
ジュンク堂やMARUZENのような、大型書店を市街地の中心部に誘致する。もちろんテナント料などは税金で助成する。一般書店と大型書店の大きな違いは、座って本が読めるということ。これによって、大型書店は居心地の良い場所となっている。これがあるのとないのとでは全然違う。
結論
結局、文化を作るには、大都市から人と知恵の両方を持ち込んで、継続的に回る仕組みを作る必要がある。本格的に取り組むのなら、上の二つの案ぐらいの出費は覚悟しなければならない。八戸ブックセンターの運営に税金が投入されることに批判的な意見もあるが、本当に豊かな文化都市を目指すなら、その程度の額では全く足りないくらいなのである。
八戸ブックセンターに関しては正直なところ、あまり改善案も思いつかない。というのも、芸術一般ならやれることは多いのかもしれないが、本に関係ある事に限定するとなると、やれることはかなり限られる。本によって社会を豊かにするには、それなりに本を必要とする人たちがいなければいけないし、本を必要とする人を作り出すにはもっと大がかりな変革が必要だと思う。それこそ大学を作るぐらいでなければ、根本的に人々の心の豊かさは変わらないだろう。
そういう意味で八戸ブックセンターという試みは筋が悪いと思うのだが、いかがなものだろうか?今後に期待したい。
【2016紅白】聞いたことが無い曲を聞いてみた
高橋真梨子『ごめんね…』評価C
『桃色吐息』、『for you』、『はがゆい唇』など誰もが聞いたことがある高橋真梨子の曲の中では『ごめんね…』は良い曲だとは思うは少々地味ではある。今年のヒット曲ではないのに、この選曲というのはちょっと無いかなぁ、と思う。高橋真梨子は年齢の割に声は安定しているし、良い歌手だと思うがイマイチこの曲では盛り上がらないような…
関ジャニ∞ 「ズッコケ男道」評価B
関ジャニ∞はみんな個性があるし、必要以上にかっこつけてないのが良い。 「ズッコケ男道」はずいぶん昔に聞いた曲だけど、今聞いても良い曲だと思う。今回は、ゴールデン・ボンバーがいないから、彼らが賑やかし枠みたいな感じだろうけど、ぴったりの曲だと思う。
欅坂46 『サイレントマジョリティー』評価C
歌詞が小難しい割に、歌唱力が無いから、歌っているというより、歌わされている感が強い。PV時よりも相当成長していなければ、歌詞に見合ったパフォーマンスは無理だろう。曲自体は今年のAKB系列の中では良い方だと思う。
三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE 『Welcome to TOKYO』評価E
彼らに東京や日本を代表してもらいたいと考えている人がどれだけいるのか。
乃木坂46 『サヨナラの意味』評価D
卒業シーズンの定番にしたかったけど、イマイチ当たらなかったという感じの曲。あまり印象に残るようなものが無い。
郷ひろみ『言えないよ』評価B
郷ひろみは基本的に歌が下手なので、『2億4千万の瞳』みたいな勢いのある曲じゃないと聞くに堪えないのだが、この曲には妙な魅力があって最後まで聞ける。
松田聖子『薔薇のように咲いて 桜のように散って』評価C
松田聖子は前回出場したとき聞いて、だいぶひどいなと思った。だけど、今回の曲はYoshikiが作曲したということで、曲自体の質は高い。あとはライブで松田聖子がどれだけのパフォーマンスを発揮できるかが問題。
福田こうへい『東京五輪温度』評価C
怪しいセールスマンのような風貌をしている。あるいは時代劇で用心棒として雇われる剣豪みたいな見た目。演歌のうまさの基準がよく分からないのだが、この人はうまいのかよく分からない。声にあまり特徴が無いので、個人的にあまり魅力を感じないのだが。
大竹しのぶ『愛の讃歌』評価D
Youtubeで見る限りは、結構うまいが、別にこの人である必要性が全くない。それこそ和田アキ子が歌ったって良いし、美輪明宏だっていいのだから、そこに疑問点は残る。
三山たかし『四万十川』評価C
福田こうへいよりはずっと、親しみやすい顔と声をしている。曲自体は良くも悪くもない特徴のない曲だと思う。男性の演歌歌手は、女性に比べて地味な曲ばかりな気がするのだがどうしてなんだろうか。
香西かおり『すき』評価D
曲を聞いたけど、本当にこの曲で良いの?って思った。
2016年紅白の曲の中で聞いたことが無い曲を聞いてみた-桐谷健太、五木ひろし、AI、AAA、miwa、E-girls
主観的にA~Eの5段階で評価。あくまで主観的。
桐谷健太『海の声』評価D
BEGINの人が作曲をやっているとのことで、確かにBEGINっぽいのだけど、BEGINよりもずっと歌詞に特徴が無いというか、飲み込みやすい歌詞になっていて、それをどう評価するかだと思う。BEGIN並みに、アクの強い感じだったらCMにも使われたなかった可能性もあるし仕方ない部分もある。残念ながら紅白で普通に歌っても印象には残らないだろう。
続きを読むイエモン&椎名林檎、2016紅白の曲発表。『JAM』はいろいろ大丈夫なの?
2016年の紅白で聞きたい椎名林檎の曲5選
今年の椎名林檎を振り返ってみた時、「今年はこの曲!」っていう曲があったかと考えてみても全然思い浮ばない。『長く短い祭』がヒットした去年とは全く状況が違うのだ。
それでも昨年に引き続き、彼女は今年も紅白のメンバーに選ばれた。そして、もちろんいずれかの曲を歌うわけで、じゃあ何を歌うのかという点が問題になる。
彼女が今年一番注目を浴びたのは、もちろん企画、演出を務めたリオ五輪の閉幕式の引継ぎセレモニー関連の話題においてである。
だから当然オリンピックに関連のある曲が選出される可能性が高いわけだが、そうなるとやはり一番有力なのは『NIPPON』ということになる。
NHKのサッカー関連番組のために書き下ろされたという本曲は、2014年の紅白でも演奏されたので、覚えている人も多いだろう。しかし、一昨年にすでに演奏されたという点では新鮮味に欠けるとも言える。同様の理由で昨年の『長く短い祭』も、敬遠されるだろう。
そうなると一番有力なのは『カーネーション』ということになる。五輪との関連は薄いが、スローテンポで、NHKの朝ドラのOP曲でもあったこの曲ならば、お年寄りにも受け入れられやすい。また以前紅白で歌われたのが2011年なので、ほどほどに新鮮味がある。個人的な予想としては、この『カーネーション』の可能性が一番高いと考えている。
『カーネーション』が選ばれると予想する理由はもう一つあって、それは、この曲には政治性がほとんど感じられないからである。椎名林檎は、その姿勢が右寄りすぎるということで、最近は一部からの批判を浴びている。
こういう見方が拡がるのは、椎名林檎にとってもNHKにとっても、損である。だから歌詞が民族主義的と指摘される『NIPPON』は分が悪い。だが『カーネーション』ならば、問題にならなくて済む。
そういうことで、『カーネーション』が今年の紅白の最有力だと、筆者は考えているのだが、それとは別に個人的に紅白で聞きたい椎名林檎の曲についてランキング形式で書いていくことにする。
第5位 『あおぞら』
全然椎名林檎っぽくない爽やかな曲。作風的に近いのは、『幸福論』くらい。サントリーのCMで流れたのでそこそこ有名だと思う。と言ってもサビが一瞬流れるだけなので、わからないかも。
第4位 『自由へ道連れ』
東京事変っぽさが色濃く残るアップテンポな曲。深い意味があるようでない歌詞が素晴らしい。もし生演奏するのなら、ギターソロは絶対に飛ばさないでほしい。これは『ホテル・カリフォルニア』に匹敵すると言ったら褒めすぎか。あとはPV(MV)の小松菜奈も出してくれたら言うこと無し。
第3位 『闇に降る雨』
バイオリンのイントロが印象的な曲。Wikipediaによると
椎名曰く「私の中での演歌的な部分を全部集めたような曲」とのことで、完成曲を「これって森昌子じゃん」と思ったという。またインタビューでは、サビの「雨だろうが運命(さだめ)だろうが」というフレーズに「当時よくこんな事言えたなぁ」と話している。
とあるように、昭和の歌謡曲のような暗い情念にみちた曲。個人的には藤圭子を思い出した。年々、演歌、歌謡曲の割合は減り続けているので、その成分を椎名林檎で補うのもいいかもしれないと思ったので第3位。
第2位 『歌舞伎町の女王』
THE椎名林檎と言ったらこの曲、という認識はとっくに廃れているのかもしれない。でも『本能』や『罪と罰』が、半分がPV(MV)の力でヒットしたのに比べて、この曲の場合、歌詞が持つ世界観がPVのそれを遥かに凌駕している。それくらい、強烈で唯一無二の曲である。よく爆笑問題の太田がネタにしていることでもおなじみ?
第1位 『夜明けの歌』
3.11の1か月後にYoutubeでひっそりと公開された動画で歌った曲。オリジナルは1964年の岸洋子の代表曲。公開された時期的にある種の鎮魂歌的な意味合いを持っていたと考えられる。その当時の騒々しい雰囲気もあって、さほど注目されなかったが、彼女なりに震災に向き合い、アーティストとして被災者に対して何ができるのかを考えた結果がこの曲なのだと思う。あの大震災から5年。オリジナルが偉大すぎてなかなか難しいとは思うが、メモリアルな年の締めくくりに、これ以上ふさわしい曲はないのではないか。
まとめ
結論としては、椎名林檎の多面的な魅力を引き出せる曲ならなんでも構わないと思う。ただ、できることならあんまりオリンピックを強調せずに、いちアーティストとして魅せてくれるような演出の方が好ましい。いちファンとしては。
THE YELLOW MONKEY版も書いた
紅白でイエモンに歌ってほしいけど、諸々の事情でたぶん無理な曲BEST5
紅白でイエモンに歌ってほしいけど、諸々の事情でたぶん無理な曲BEST5
独断と偏見の5位から1位までを発表する。項目は上から、曲名、歌詞(別サイト)、紅白で歌えない理由、その曲についての解説の順である。
※動画については、公式動画のみ張るので、どうしても曲が気になるという方は動画検索で探せば見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。
第5位 LOVE LOVE SHOW
歌詞:THE YELLOW MONKEY/歌詞:LOVE LOVE SHOW/うたまっぷ歌詞無料検索
理由
ロマンチックすぎる
解説
ロマンチックといえば聞こえは良いが、イエモンのロマンチックは度が過ぎる。「雨が続いて カミナリ鳴って 山が火を噴き 海が荒れても あなたのために 歌を歌おう 今夜はとても キレイだよ」なんて歯が浮くような歌詞は、普通の歌手は歌えない。加えて、『LOVE LOVE SHOW』には、けっこうストレートな性的表現もある。
Wikipediaによると、吉井はカラオケで歌われることを意識して作詞・作曲をしたと語っているが、本人は良くても、カラオケに同席した人たちは困るだろう。ただ、すべて何かの比喩ですと言い切ってしまえば、紅白でも歌えないことは無いような気がするので5位。
第4位 離れるな
歌詞:THE YELLOW MONKEY/歌詞:離れるな/うたまっぷ歌詞無料検索
理由
病的すぎる
解説
紅白ではすっかり常連になった椎名林檎も、デビューしたての頃は、病的かつエキセントリックな雰囲気で話題を集めた。『ここでキスして』や『本能』のころの病的なオーラはだいぶ控えめになったが、今でもエキセントリックさは健在で、紅白で毎回視聴者を楽しませている。本当かどうか分からないが、Wikipediaによると、その椎名林檎がファンは、イエローモンキー、吉井和哉のファンだったらしい。
その噂が本当だと思えるほど、吉井和哉という男は、重く、胸が苦しくなるような歌詞を書くのが上手い。そして5位の『LOVE LOVE SHOW』もそうだが、この曲もシングルのタイトルとして発売された。こんな暗い曲をよくA面に持ってきたな、と驚くが、これについてはレコード会社の判断で、メンバーは反対していたとのこと。妖しさとムンムンとした熱気が漂っていて、犯罪映画のOPにでも使われそうな曲。紅白で聞いたら、そのあと悪夢でうなされそう。
第3位 TVのシンガー
歌詞:THE YELLOW MONKEY/歌詞:TVのシンガー/うたまっぷ歌詞無料検索
理由
ペシミスティックすぎる
解説
イエモンの曲には、ペシミスティック(悲観的)なものはたくさんあるが、この曲は、自己言及的なところが特徴的だ。自らが所属する音楽業界、芸能界、ミュージシャンに、そして自分自身に毒を吐きまくっている。このご時世、この曲を紅白で歌ったら、被弾する芸能人、有名人はたくさんいる。まず薬に関してはもう言うまでも無い。「でっかい車 ちっちゃな肝っ玉」もつい最近あった。「常に性的な欲望だらけ」はゲス不倫として流行語にもなった。紅白で歌ったら話題にはなるが、毒が強すぎる。それだけでなく、三女一男を設けた嫁と離婚し、真鍋かおりと再婚した吉井自身も被弾する可能性がある。まさに諸刃の剣である。
第2位 NAI
歌詞:THE YELLOW MONKEY/歌詞:NAI/うたまっぷ歌詞無料検索
理由
エキセントリックすぎる
解説
この曲はちょっと他の曲と違って特殊だ。解散前のイエモン特有の暑苦しさがこの曲には無い。どちらかというと、吉井和哉がソロの時に歌った曲のような緩さがある。しかし、鬼気迫る何かがあるという点で、吉井和哉のソロ曲とも異なっている。よく幻覚剤のLSDを摂取して、創作活動を行うと、斬新な作品が作れるという話を聞いたことがあるが、NAIもそいういうふうにして作られた作品じゃないかと疑ってしまう。
Wikipediaによると、この曲は「性器を持たない男性と女性の報われない愛を描いている」とのこと。そういわれると、そんな感じもしてくる。この異様さを分かってもらうには上のリンクから飛んで、直接歌詞を見てもらった方が早い。
第1位 HOTEL 宇宙船
歌詞:THE YELLOW MONKEY/歌詞:HOTEL宇宙船/うたまっぷ歌詞無料検索
理由
性的すぎる
解説
歌詞を見てもらえば分かるので解説する必要は無いと思う。『バラ色の日々』や
『砂の塔』を聞いて、正統派のロックバンドだと思い込んでしまった方々には申し訳ないが、ザ・イエローモンキーというのは基本的にこういうグループである。ちなみに、1番と2番の歌詞のあいだで「ほしぶどうー」という声が入るが、上の歌詞サイトでは省かれている。なぜだ。
まとめ
残念ながら紅白ではたぶん無難な選曲がなされるだろう。今年発売された『砂の塔』で十中八九決まりで、次点で再結集後に作られた『ALRIGHT』だろうが、解散前の曲だとしても『楽園』や『バラ色の日々』のような、ある程度ヒットした王道の曲に限られる。大穴で『JAM』の可能性もあるかといったところか。(追記:歌詞「外国で飛行機が落ちました」があるので『JAM』は無いですね)
予想通りの無難な曲が選ばれた結果、イエモンは90年代を代表する伝説のアーティストとして祀り上げられ、再評価が進むかもしれない。でも、それはそれで当時を生きたイエモン好きとしては結構違和感がある。
というのも、当時イエモンの上には常にGLAYやミスチルやサザンがいて、売上という点でイエモンは彼らに遠く及ばなかったからである。そういうことで、実際イエモンがトップランナーだった時代など全くなかったのだから、彼らを「90年代を代表する」と評することは不正確だし、失礼なことだとさえ思う。
それでは解散前のイエローモンキーとは、本当はどのようなロックバンドだったのか。私は本物のイエモンファンからすれば、ファンを名乗る資格の無い人間だとは思うが、イエモンがどのようなロックバンドだったかを、主観全開で書いてみると以下のようになる。
彼らは、中性的な魅力を全面に押し出したバンドとしてキャリアをスタートさせ、いわば中性的な容姿、言動を売り物にしてのし上がったグループのひとつだった。しかし、中性的、色物的な魅力は、メジャーになった後の彼らには重荷になった。そのことは彼らの曲を聞いてる立場の人間からでも分かった。
ビジュアル系というカテゴリーは、その言葉が生まれた段階ですでに侮蔑的な意味を持っていたが、その意味を肯定的に受け取るグループもいた。ビジュアル系というカテゴリーが生まれ前からずっと、イエモンはあのスタイルだったが、否応なくビジュアル系の仲間として括られることになった。これにメンバーが忸怩たる思いを抱いていたことは容易に想像できる。
そのことがグループの解散につながったというのは邪推だが、ソロ活動を開始した吉井和哉(イエモンの時はロビンと呼ばれていた)が、服装や曲調をガラッと地味なものに変えたのは事実である。吉井の変節は、イエモンファンをふるいにかけることになり、結果、彼らの大半が吉井和哉に失望し、聞き続けることを辞めた。私もそのひとりである。
話が横道にそれたが、以上のことからも分かる通り、イエモンは王道を往くロックバンドでは無かった。また売り上げという客観的な数字の上でも、GLAY、サザン、ミスチル、さらにはB'zやラルクにも及ばなかった。そう考えると、90年代を代表するロックバンドという呼び名がいかに正当なものでないか、は分かってもらえるだろう。
彼らが伝説足り得る理由があるとすれば、それは、誰が言ったか知らないが「産業ロック」という言葉では、とても回収できない、過度にロマンチック、病的、ペシミスティック、エキセントリック、性的な曲や詞を多く残し、さらにはヒットさせてしまったこと。そういう理由以外に考えられない。
そして売上と自分たちの路線との間の葛藤に引き裂かれながらも、彼らは最後まで自分たちの出発点であるところの主義主張を貫徹した。その証拠に、メンバー監修で製作された最初で最後のオールタイムベスト・アルバムである『THE YELLOW MONKEY MOTHER OF ALL THE BEST』には、上に挙げた5つの曲全てが収録されている。
以上より、語弊を恐れず、解散前のイエローモンキーというグル―プを一言で表すならば、変態ということに尽きる。変態の持つ最大の特徴は、それを享受する人々の社会生活にプラスの影響ををもたらさないことだ。
実際、イエロ・モンキーの曲が持つ、ロマンチック、病的、ペシミスティック、エキセントリック、性的な部分は、何か人の役に立つわけではない。『テレビのシンガー』や『NAI』を聞いたところで、気分転換になったり、意中の相手に告白できるようになったり、失恋から立ち直れたり、自分には見守ってくれる仲間がいるからそれで十分じゃん、という気持ちになれるわけではないのである。
しかし、そのことがイエモンと同時代にいた他の人気アーティストとを分けている。イエモンぐらい変態になりきれたロックバンドは他にいなかった。イエモンほど消費の対象となることを拒んだロックバンドは他にいなかった。そして、イエモンの生み出した変態は、機能的でない代わりに、ただただ美しかった。イエモンが伝説的と呼ばれる理由があるならば、そのことぐらいだと私は思う。
皮肉なことに(ある意味では当然なのだが)、イエモンが解散し活動をしていなかった十数年の間に、GLAYやミスチル、サザンが凋落した結果、イエモンに期待する声は大きくなってしまった。それゆえ、今年の紅白が彼らにとっての大勝負となることは間違いない。往年のイエモンファンは90年代のパフォーマンスを期待するだろうし、イエモンを知らない世代の中にもYoutubeの動画で見て、彼らに同世代とは違う何かを見出している人がいるかもしれない。
ただ残念ながら、ザ・イエローモンキーがそういった期待に応えられるかは疑問である。事実上の解散から15年経っているのだから、それは無理というものだ。15年というと、当時5歳の子供は今は20歳だし、解散時30代半ばだったイエモンメンバーは今や50歳前後となっている(それでも髪型や体形が当時とほとんど変わって無いのは奇跡的といえる)。
加齢による衰えは必然で、ロビン(吉井の愛称)による歌もエマ(菊地英昭)、ヒーセ(廣瀬洋一)、アニー(菊地英二)らによる演奏パフォーマンスも、現実的に考えて、90年代を上回ることはないだろう。当時との比較を恐れるなら、昔の曲よりも『砂の塔』『ALRIGHT』を選んだ方が無難だ。今の彼らでは「伝説」の再現は難しいからだ。
ただ、その選曲では今のイエモンの魅力しか伝わらない。ただのイエモン好きとしても、それでは全く不満なのである。「今のイエモンには、昔のイエモンには無い魅力がある」という意見にはまったく同意できる。でもそれだけじゃダメだ。今のイエモンの曲には変態が明らかに足りない。また、「昔のイエモンは凄かった、それを見せてやりたい」っていう懐古厨的な欲望は自分にもある。でもそれだけでももちろんダメ。
結論としては、今のイエモンの良さを最大限引き出しつつ、自分のようなファンのために、90年代の名残も見せてくれないと完全には納得できないということになる。この大きすぎるハードルをクリアするための方法はただ一つで、メドレーで再結集後の曲と解散前の曲とをそれぞれ歌うことだ。その中には、ぜひ上に挙げた5つの曲のうちの1曲でも選んでもらえれば非常にうれしい。『HOTEL宇宙船』は無理でも『LOVE LOVE SHOW』くらいはいけるんじゃないかと。明るい曲だし。
とにかくイエモンの真骨頂は変態で、それができないというなら、紅白に出る意味はほとんどない。あまり奇異なことをしたら、いつかの気志團のように叩かれることになるかもしれないけど、紅組の相手が林檎姉さんなら多少は相殺されるから、『HOTEL宇宙船』でもいけないことは無いと思う。
次はイエモンに本気で歌ってほしい曲で、紅白で歌われる見込みのある曲について、書けたら書く。(続くかもしれない)
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