イエモン&椎名林檎、2016紅白の曲発表。『JAM』はいろいろ大丈夫なの?

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そういうわけで、紅白で披露されるTHE YELLOW MONKEY(通称イエモン)と椎名林檎の曲を予想していたんですが、私の予想は見事に外れました。予想ではイエモンは順当なら『砂の塔』、椎名林檎は『カーネーション』だったのですが…

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イエモン「JAM」で、椎名林檎「青春の瞬き」だそうです。

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2016年の紅白で聞きたい椎名林檎の曲5選

今年の椎名林檎を振り返ってみた時、「今年はこの曲!」っていう曲があったかと考えてみても全然思い浮ばない。『長く短い祭』がヒットした去年とは全く状況が違うのだ。

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それでも昨年に引き続き、彼女は今年も紅白のメンバーに選ばれた。そして、もちろんいずれかの曲を歌うわけで、じゃあ何を歌うのかという点が問題になる。

 

彼女が今年一番注目を浴びたのは、もちろん企画、演出を務めたリオ五輪の閉幕式の引継ぎセレモニー関連の話題においてである。

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だから当然オリンピックに関連のある曲が選出される可能性が高いわけだが、そうなるとやはり一番有力なのは『NIPPON』ということになる。

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NHKのサッカー関連番組のために書き下ろされたという本曲は、2014年の紅白でも演奏されたので、覚えている人も多いだろう。しかし、一昨年にすでに演奏されたという点では新鮮味に欠けるとも言える。同様の理由で昨年の『長く短い祭』も、敬遠されるだろう。

 

そうなると一番有力なのは『カーネーション』ということになる。五輪との関連は薄いが、スローテンポで、NHKの朝ドラのOP曲でもあったこの曲ならば、お年寄りにも受け入れられやすい。また以前紅白で歌われたのが2011年なので、ほどほどに新鮮味がある。個人的な予想としては、この『カーネーション』の可能性が一番高いと考えている。

 

カーネーション』が選ばれると予想する理由はもう一つあって、それは、この曲には政治性がほとんど感じられないからである。椎名林檎は、その姿勢が右寄りすぎるということで、最近は一部からの批判を浴びている。

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こういう見方が拡がるのは、椎名林檎にとってもNHKにとっても、損である。だから歌詞が民族主義的と指摘される『NIPPON』は分が悪い。だが『カーネーション』ならば、問題にならなくて済む。

 

そういうことで、『カーネーション』が今年の紅白の最有力だと、筆者は考えているのだが、それとは別に個人的に紅白で聞きたい椎名林檎の曲についてランキング形式で書いていくことにする。

 

第5位 『あおぞら』

全然椎名林檎っぽくない爽やかな曲。作風的に近いのは、『幸福論』くらい。サントリーのCMで流れたのでそこそこ有名だと思う。と言ってもサビが一瞬流れるだけなので、わからないかも。

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第4位 『自由へ道連れ

東京事変っぽさが色濃く残るアップテンポな曲。深い意味があるようでない歌詞が素晴らしい。もし生演奏するのなら、ギターソロは絶対に飛ばさないでほしい。これは『ホテル・カリフォルニア』に匹敵すると言ったら褒めすぎか。あとはPV(MV)の小松菜奈も出してくれたら言うこと無し。

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第3位 『闇に降る雨』

バイオリンのイントロが印象的な曲。Wikipediaによると

椎名曰く「私の中での演歌的な部分を全部集めたような曲」とのことで、完成曲を「これって森昌子じゃん」と思ったという。またインタビューでは、サビの「雨だろうが運命(さだめ)だろうが」というフレーズに「当時よくこんな事言えたなぁ」と話している。

とあるように、昭和の歌謡曲のような暗い情念にみちた曲。個人的には藤圭子を思い出した。年々、演歌、歌謡曲の割合は減り続けているので、その成分を椎名林檎で補うのもいいかもしれないと思ったので第3位。

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第2位 『歌舞伎町の女王』

THE椎名林檎と言ったらこの曲、という認識はとっくに廃れているのかもしれない。でも『本能』や『罪と罰』が、半分がPV(MV)の力でヒットしたのに比べて、この曲の場合、歌詞が持つ世界観がPVのそれを遥かに凌駕している。それくらい、強烈で唯一無二の曲である。よく爆笑問題の太田がネタにしていることでもおなじみ?

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第1位 『夜明けの歌』

3.11の1か月後にYoutubeでひっそりと公開された動画で歌った曲。オリジナルは1964年の岸洋子の代表曲。公開された時期的にある種の鎮魂歌的な意味合いを持っていたと考えられる。その当時の騒々しい雰囲気もあって、さほど注目されなかったが、彼女なりに震災に向き合い、アーティストとして被災者に対して何ができるのかを考えた結果がこの曲なのだと思う。あの大震災から5年。オリジナルが偉大すぎてなかなか難しいとは思うが、メモリアルな年の締めくくりに、これ以上ふさわしい曲はないのではないか。

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まとめ

結論としては、椎名林檎の多面的な魅力を引き出せる曲ならなんでも構わないと思う。ただ、できることならあんまりオリンピックを強調せずに、いちアーティストとして魅せてくれるような演出の方が好ましい。いちファンとしては。

 

THE YELLOW MONKEY版も書いた

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紅白でイエモンに歌ってほしいけど、諸々の事情でたぶん無理な曲BEST5

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 紅白でイエモンに歌ってほしいけど、諸々の事情でたぶん無理な曲BEST5

 独断と偏見の5位から1位までを発表する。項目は上から、曲名、歌詞(別サイト)、紅白で歌えない理由、その曲についての解説の順である。

 ※動画については、公式動画のみ張るので、どうしても曲が気になるという方は動画検索で探せば見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。

第5位 LOVE LOVE SHOW

歌詞:THE YELLOW MONKEY/歌詞:LOVE LOVE SHOW/うたまっぷ歌詞無料検索

理由

ロマンチックすぎる

解説

 ロマンチックといえば聞こえは良いが、イエモンのロマンチックは度が過ぎる。「雨が続いて カミナリ鳴って 山が火を噴き 海が荒れても あなたのために 歌を歌おう 今夜はとても キレイだよ」なんて歯が浮くような歌詞は、普通の歌手は歌えない。加えて、『LOVE LOVE SHOW』には、けっこうストレートな性的表現もある。

 Wikipediaによると、吉井はカラオケで歌われることを意識して作詞・作曲をしたと語っているが、本人は良くても、カラオケに同席した人たちは困るだろう。ただ、すべて何かの比喩ですと言い切ってしまえば、紅白でも歌えないことは無いような気がするので5位。

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第4位 離れるな

歌詞:THE YELLOW MONKEY/歌詞:離れるな/うたまっぷ歌詞無料検索

理由

病的すぎる

解説

 紅白ではすっかり常連になった椎名林檎も、デビューしたての頃は、病的かつエキセントリックな雰囲気で話題を集めた。『ここでキスして』や『本能』のころの病的なオーラはだいぶ控えめになったが、今でもエキセントリックさは健在で、紅白で毎回視聴者を楽しませている。本当かどうか分からないが、Wikipediaによると、その椎名林檎がファンは、イエローモンキー、吉井和哉のファンだったらしい。

 その噂が本当だと思えるほど、吉井和哉という男は、重く、胸が苦しくなるような歌詞を書くのが上手い。そして5位の『LOVE LOVE SHOW』もそうだが、この曲もシングルのタイトルとして発売された。こんな暗い曲をよくA面に持ってきたな、と驚くが、これについてはレコード会社の判断で、メンバーは反対していたとのこと。妖しさとムンムンとした熱気が漂っていて、犯罪映画のOPにでも使われそうな曲。紅白で聞いたら、そのあと悪夢でうなされそう。

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第3位 TVのシンガー

歌詞:THE YELLOW MONKEY/歌詞:TVのシンガー/うたまっぷ歌詞無料検索

理由

ペシミスティックすぎる

解説

 イエモンの曲には、ペシミスティック(悲観的)なものはたくさんあるが、この曲は、自己言及的なところが特徴的だ。自らが所属する音楽業界、芸能界、ミュージシャンに、そして自分自身に毒を吐きまくっている。このご時世、この曲を紅白で歌ったら、被弾する芸能人、有名人はたくさんいる。まず薬に関してはもう言うまでも無い。「でっかい車 ちっちゃな肝っ玉」もつい最近あった。「常に性的な欲望だらけ」はゲス不倫として流行語にもなった。紅白で歌ったら話題にはなるが、毒が強すぎる。それだけでなく、三女一男を設けた嫁と離婚し、真鍋かおりと再婚した吉井自身も被弾する可能性がある。まさに諸刃の剣である。

第2位 NAI

歌詞:THE YELLOW MONKEY/歌詞:NAI/うたまっぷ歌詞無料検索

理由

エキセントリックすぎる

解説

 この曲はちょっと他の曲と違って特殊だ。解散前のイエモン特有の暑苦しさがこの曲には無い。どちらかというと、吉井和哉がソロの時に歌った曲のような緩さがある。しかし、鬼気迫る何かがあるという点で、吉井和哉のソロ曲とも異なっている。よく幻覚剤のLSDを摂取して、創作活動を行うと、斬新な作品が作れるという話を聞いたことがあるが、NAIもそいういうふうにして作られた作品じゃないかと疑ってしまう。

 Wikipediaによると、この曲は「性器を持たない男性と女性の報われない愛を描いている」とのこと。そういわれると、そんな感じもしてくる。この異様さを分かってもらうには上のリンクから飛んで、直接歌詞を見てもらった方が早い。

第1位 HOTEL 宇宙船

歌詞:THE YELLOW MONKEY/歌詞:HOTEL宇宙船/うたまっぷ歌詞無料検索

理由

性的すぎる

解説

 歌詞を見てもらえば分かるので解説する必要は無いと思う。『バラ色の日々』や

 『砂の塔』を聞いて、正統派のロックバンドだと思い込んでしまった方々には申し訳ないが、ザ・イエローモンキーというのは基本的にこういうグループである。ちなみに、1番と2番の歌詞のあいだで「ほしぶどうー」という声が入るが、上の歌詞サイトでは省かれている。なぜだ。

 

まとめ

 残念ながら紅白ではたぶん無難な選曲がなされるだろう。今年発売された『砂の塔』で十中八九決まりで、次点で再結集後に作られた『ALRIGHT』だろうが、解散前の曲だとしても『楽園』や『バラ色の日々』のような、ある程度ヒットした王道の曲に限られる。大穴で『JAM』の可能性もあるかといったところか。(追記:歌詞「外国で飛行機が落ちました」があるので『JAM』は無いですね)

 

 予想通りの無難な曲が選ばれた結果、イエモンは90年代を代表する伝説のアーティストとして祀り上げられ、再評価が進むかもしれない。でも、それはそれで当時を生きたイエモン好きとしては結構違和感がある。

 

 というのも、当時イエモンの上には常にGLAYミスチルやサザンがいて、売上という点でイエモンは彼らに遠く及ばなかったからである。そういうことで、実際イエモントップランナーだった時代など全くなかったのだから、彼らを「90年代を代表する」と評することは不正確だし、失礼なことだとさえ思う。

 

 それでは解散前のイエローモンキーとは、本当はどのようなロックバンドだったのか。私は本物のイエモンファンからすれば、ファンを名乗る資格の無い人間だとは思うが、イエモンがどのようなロックバンドだったかを、主観全開で書いてみると以下のようになる。

 

 彼らは、中性的な魅力を全面に押し出したバンドとしてキャリアをスタートさせ、いわば中性的な容姿、言動を売り物にしてのし上がったグループのひとつだった。しかし、中性的、色物的な魅力は、メジャーになった後の彼らには重荷になった。そのことは彼らの曲を聞いてる立場の人間からでも分かった。

 

 ビジュアル系というカテゴリーは、その言葉が生まれた段階ですでに侮蔑的な意味を持っていたが、その意味を肯定的に受け取るグループもいた。ビジュアル系というカテゴリーが生まれ前からずっと、イエモンはあのスタイルだったが、否応なくビジュアル系の仲間として括られることになった。これにメンバーが忸怩たる思いを抱いていたことは容易に想像できる。

 

 そのことがグループの解散につながったというのは邪推だが、ソロ活動を開始した吉井和哉イエモンの時はロビンと呼ばれていた)が、服装や曲調をガラッと地味なものに変えたのは事実である。吉井の変節は、イエモンファンをふるいにかけることになり、結果、彼らの大半が吉井和哉に失望し、聞き続けることを辞めた。私もそのひとりである。

 

 話が横道にそれたが、以上のことからも分かる通り、イエモンは王道を往くロックバンドでは無かった。また売り上げという客観的な数字の上でも、GLAY、サザン、ミスチル、さらにはB'zやラルクにも及ばなかった。そう考えると、90年代を代表するロックバンドという呼び名がいかに正当なものでないか、は分かってもらえるだろう。

 

 彼らが伝説足り得る理由があるとすれば、それは、誰が言ったか知らないが「産業ロック」という言葉では、とても回収できない、過度にロマンチック、病的、ペシミスティック、エキセントリック、性的な曲や詞を多く残し、さらにはヒットさせてしまったこと。そういう理由以外に考えられない。

 

 そして売上と自分たちの路線との間の葛藤に引き裂かれながらも、彼らは最後まで自分たちの出発点であるところの主義主張を貫徹した。その証拠に、メンバー監修で製作された最初で最後のオールタイムベスト・アルバムである『THE YELLOW MONKEY MOTHER OF ALL THE BEST』には、上に挙げた5つの曲全てが収録されている。

 

 以上より、語弊を恐れず、解散前のイエローモンキーというグル―プを一言で表すならば、変態ということに尽きる。変態の持つ最大の特徴は、それを享受する人々の社会生活にプラスの影響ををもたらさないことだ。

 

 実際、イエロ・モンキーの曲が持つ、ロマンチック、病的、ペシミスティック、エキセントリック、性的な部分は、何か人の役に立つわけではない。『テレビのシンガー』や『NAI』を聞いたところで、気分転換になったり、意中の相手に告白できるようになったり、失恋から立ち直れたり、自分には見守ってくれる仲間がいるからそれで十分じゃん、という気持ちになれるわけではないのである。

 

 しかし、そのことがイエモンと同時代にいた他の人気アーティストとを分けている。イエモンぐらい変態になりきれたロックバンドは他にいなかった。イエモンほど消費の対象となることを拒んだロックバンドは他にいなかった。そして、イエモンの生み出した変態は、機能的でない代わりに、ただただ美しかった。イエモンが伝説的と呼ばれる理由があるならば、そのことぐらいだと私は思う。

 

 皮肉なことに(ある意味では当然なのだが)、イエモンが解散し活動をしていなかった十数年の間に、GLAYミスチル、サザンが凋落した結果、イエモンに期待する声は大きくなってしまった。それゆえ、今年の紅白が彼らにとっての大勝負となることは間違いない。往年のイエモンファンは90年代のパフォーマンスを期待するだろうし、イエモンを知らない世代の中にもYoutubeの動画で見て、彼らに同世代とは違う何かを見出している人がいるかもしれない。

 

 ただ残念ながら、ザ・イエローモンキーがそういった期待に応えられるかは疑問である。事実上の解散から15年経っているのだから、それは無理というものだ。15年というと、当時5歳の子供は今は20歳だし、解散時30代半ばだったイエモンメンバーは今や50歳前後となっている(それでも髪型や体形が当時とほとんど変わって無いのは奇跡的といえる)。

 

 加齢による衰えは必然で、ロビン(吉井の愛称)による歌もエマ(菊地英昭)、ヒーセ(廣瀬洋一)、アニー(菊地英二)らによる演奏パフォーマンスも、現実的に考えて、90年代を上回ることはないだろう。当時との比較を恐れるなら、昔の曲よりも『砂の塔』『ALRIGHT』を選んだ方が無難だ。今の彼らでは「伝説」の再現は難しいからだ。

 

 ただ、その選曲では今のイエモンの魅力しか伝わらない。ただのイエモン好きとしても、それでは全く不満なのである。「今のイエモンには、昔のイエモンには無い魅力がある」という意見にはまったく同意できる。でもそれだけじゃダメだ。今のイエモンの曲には変態が明らかに足りない。また、「昔のイエモンは凄かった、それを見せてやりたい」っていう懐古厨的な欲望は自分にもある。でもそれだけでももちろんダメ。

 

 結論としては、今のイエモンの良さを最大限引き出しつつ、自分のようなファンのために、90年代の名残も見せてくれないと完全には納得できないということになる。この大きすぎるハードルをクリアするための方法はただ一つで、メドレーで再結集後の曲と解散前の曲とをそれぞれ歌うことだ。その中には、ぜひ上に挙げた5つの曲のうちの1曲でも選んでもらえれば非常にうれしい。『HOTEL宇宙船』は無理でも『LOVE LOVE SHOW』くらいはいけるんじゃないかと。明るい曲だし。

 

 とにかくイエモンの真骨頂は変態で、それができないというなら、紅白に出る意味はほとんどない。あまり奇異なことをしたら、いつかの気志團のように叩かれることになるかもしれないけど、紅組の相手が林檎姉さんなら多少は相殺されるから、『HOTEL宇宙船』でもいけないことは無いと思う。

 

 次はイエモンに本気で歌ってほしい曲で、紅白で歌われる見込みのある曲について、書けたら書く。(続くかもしれない)

はてなイエモンの曲予想やってる人いました。

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ブコメかぶって恥ずかしい

 自分が書いたはてなブックマークのコメントが自分より前に書いた人のものとかぶっていた。死ぬほど恥ずかしい。そしてさらに、そのコメントがそこそこのスターを集めていて、もう少しで人気コメント入りしてしまう。一体自分はどうしたらいいのだろうか。

 今から消すこともできるのだが、それはそれでなんだか自分が意図的に他人のコメントをパクったと認めるみたい嫌だ。もちろんパクったわけではなく、偶然に似たようなコメントになってしまっただけなのだけど、それを証明する手段が無いから厄介である。

 こんなとき、かぶるのを避けるようなサービスがあったらどんなに便利か。例えば他のコメントと単語が80パ―セント以上重複していたら、「他のコメントと著しく類似していますが、投稿してよろしいですか?」みたいな警告文が表示されるような仕様になっていれば、問題は起こらない。多少ウザったいかもしれないが、コメントがかぶるよりはマシだと私は思う。それくらいの煩わしさなら喜んで受け入れよう。

 とにかく自分はツイパクのようなことには興味がないし、はてブで名声を得ようなどということは1ミリたりとも考えていないのです。うーん、困った。

ロメロ初期三部作『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』、『ゾンビ』、『死霊のえじき』

 ロメロの初期3部作はこれまで見ていなかった。最近やっと、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』 (1968)、『ゾンビ』(1978)、『死霊のえじき』 (1985)の3作を見ることができたので、その感想を書こうと思う。

 結論から言うと、この3作はホラー映画を語るうえで必見の作品ではない。ロメロはゾンビ映画の生みの親としては偉大だが、映画監督としては微妙、というのが私の考えだ。最近のゾンビ映画を鑑賞したあとで、ロメロの初期作品を見るのは正直キツイ。以下に、それぞれの作品の感想について書いていく。

 

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド (1968)

 最初のゾンビ映画であるこの作品は、これ以降の作品とは違いよりパニック映画に近い。冒頭、突然現れたゾンビに驚いた女は、なんの抵抗もできず民家に逃げ込む。そこに黒人やカップル、子連れの夫婦などが加わって、生き残ろうとアレコレする、というストーリーである。

 この映画、登場人物たちとゾンビはほとんど戦わない。それは恐らく、登場人物がゾンビをよくわからない存在、つまりは幽霊のようなものとして認識しているからなのだろう。だからこの映画には、ゾンビを倒すことによって得られるようなカタルシスをほとんど感じない。むしろ人間同士の争いが中心に据えられた、非常にストレスフルな映画となっている。

 

ゾンビ』(1978)

  テレビ局での番組撮影シーンから始まるこの映画では既に、ゾンビがある程度認知された存在となっている。主人公は妊娠中の女性で、事態が悪化する中、ヘリで恋人他二人の男とともにテレビ局から脱出し、(イオンのような)巨大デパートを拠点にして生活する。主人公一行が生活の中心とするのは、屋上の下にあるゾンビが入ってこない安全地帯なのだが、そこには非常用食料があるばかりでとても文化的な生活は望めない。そこで大量のゾンビが徘徊するショッピングモールに突入し、危険覚悟で必要な物資を集めようとするのだが…というのが、おおまかなストーリーである。

 この映画では、前作ではあいまいだった、噛みつかれることで感染する、というゾンビの設定が明確に示され、ストーリーに活かされている。また無人のショッピングモールという魅力的な舞台が設定されたことも大きく、前作よりも多くの人に受け入れられやすい作品に仕上がっている。

 

 死霊のえじき』 (1985)

 ほとんど見捨てられた軍の地下基地が舞台となっていて、世界のゾンビ化がかなり進行している。生きている人間はゾンビと比べて圧倒的に少数派で、食料や武器の量に加え、地下基地の耐久力の面から言ってもタイムリミットが近い。主人公はそこで軍の庇護のもとゾンビの研究をしている女性研究者だ。だが充分な研究機材がないこともあり思うような研究成果が示せない。そうこうしているうちに軍のトップが暴走し、基地の住人に対して独裁者的にふるまうようになる。そうして主人公やその仲間たちが徐々に追い詰められていく、というストーリーである。

 この映画は、ゾンビ映画のひとつの完成形と言っていいのではないか。例えば、仲間が感染して、それへの対処(生かすか。殺すか)という究極の選択を求められるといった現代ゾンビ映画のお約束が綺麗な形で提示されている。また全2作と比べても終わり方が圧倒的に良いということもこの映画の長所のひとつだろう。

  

 

『アドベンチャー・タイム』

 岡田斗司夫のお気に入りアニメだという『アドベンチャー・タイム』の動画を見たのだが、これが面白くなかった。岡田によると、日本のアニメはアメリカにすでに追い越されてしまっていて、このアニメがその証拠ということなのだが、このアニメで岡田の話に説得されるという人はまずいない。

 

 『アドベンチャー・タイム』はカートゥーン・ネットワークの公式チャンネルで公開されているので、定期的に挿入される広告さえ我慢すれば、誰でも視聴できる。

アドベンチャー・タイム_1番(#1-1):恐怖のパジャマパーティー - YouTube

 

 『アドベンチャー・タイム』はコメディアニメにも拘わらず、ギャグが笑えないという点が自分にとって致命的だ。ギャグの方向性としては、モンティ・パイソンのセンスに近いところがあると思う。つまりドリフのような身体的・直感的な笑いではなく、言語的・間接的な笑いに近い。だけど、モンティ・パイソンほど、突き放した感じではないので、なんだかギャグをいちいち説明されているような気持ちになるので冷める。

 

 そういうことでYouTubeのコメント欄では、このアニメがカオスで、狂っているという感想が多く見られるが自分には全くそうは思えない。非常に理にかなった、そして考えようによっては説教臭いアニメに見える。『シンプソンズ』や『サウスパーク』をもっと大衆向けにアレンジしたような印象を受ける。

 

 また日本の不条理ギャグアニメと比較しても、本作が特別に優れているということは無い。例えば『ボーボボ―』や『カブトボーグ』『チャージマン研』と比較しても、『アドベンチャー・タイム』はずっと穏健で、飲み込みやすい作りになっている。つまり『アドベンチャー・タイム』というのは、刺さりそうな骨を、可能な限り取り除いた不条理アニメである。

 

 このアニメの一番の長所は他の不条理アニメと比較して、演出面において非常に洗練されている、ということだ。動き自体はストーリーアニメほど多くは無いのだが

、細かい部分が、いわゆるぬるぬる動くので、見ごたえがある。

 

 そういう訳で『アドベンチャー・タイム』はつまらない、というよりある種の文脈を踏まえている人間にとっては、周回遅れにさえ見える作風のアニメである。

 

アドベンチャー・タイム シーズン5 Vol.1 [DVD]

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女による、女のための「わたモテ」

 「わたモテ」と言っても、以前匿名ダイアリーで批判されたほうの「わたモテ」(私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!)ではない。(匿名ダイアリーでは「私モテ」と略されてるけど…)

anond.hatelabo.jp

 現在、アニメが放映されている方のわたモテである。正式には『私がモテてどうすんだ』というタイトルで、こちらは「私モテ」と略すらしい。以下に第1話の詳細が記載してある。

anicobin.ldblog.jp

 匿名ダイアリーの内容については、はてなでちょっとした話題になったので覚えている人も多いのではないか。

 要約すれると、わたモテの主人公であるもこっちは喪男による妄想の産物、つまり喪男を女体化したものであって、現実のモテない女とは違う。現実の喪女は、タイトルのように、自分の不幸を社会のせいにしたりはしない。不幸を社会のせいにしたがるのはもっぱら男で、それを女に代弁させたがる作者やその手の男性作家はみんな醜い、という主張である。

 「私モテ」の作者がこの匿名ダイアリーを見た可能性はほとんどないだろうが、「私モテ」の描く主人公の性格が、この匿名ダイアリーの書き手の主張に沿った内容になっている点は興味深い。つまり「わたモテ」が男による、男のためのストーリーであるのとは対照的に、「私モテ」は女による、女のためのストーリーになっている。「私モテ」のあらすじはについては、公式サイトに載っている。

「男の子同士が仲良くしているのを見ているのが何より大好き!」な高校2年生・芹沼花依は、有り余る妄想力で"カップリング"を楽しみながら、今日も親友のあーちゃんと腐女子トークに花を咲かせる。そんなある日、大好きなアニメのキャラクターが死んだショックで体重が激減し、誰もが振り返る美少女に変身!? それをきっかけに校内の美少年4人からデートに誘われて…。(私がモテてどうすんだ 公式ホームページ|TBSテレビ

  以上のように、ぽっちゃりで、メガネをかけていて、腐女子の主人公がある日突然激ヤセし、(腐女子にも関わらず)複数の男性から好意を寄せられるまでになる、というストーリーである。

 ポイントは主人公がモテる理由に何の飛躍も無いことだと思う。ぽっちゃりしていたうえにメガネをかけていたから気づかれなかったのかもしれないが、主人公はもともと美人だったし、性格も楽天的で努力家、さらにはコミュ力もあるというように、そもそものポテンシャルがメチャクチャ高かった。だから痩せて容姿がまともになれば男たちが言い寄ってくるのは当然で、何の不思議もない。

 この点は匿名ダイアリーの内容とも整合する。

喪女は、自分がブスでコミュ障だからもてないということをよく理解している。
もてたいならブスとコミュ障を治すしかないことも理解している。
微妙にブス、微妙にコミュ障くらいだったら化粧や髪型や人とかかわる訓練で改善できたりする。
しかし破滅的なブス、絶望的なコミュ障の場合は、諦めざるを得ない場合が多い。
それでも喪女は社会を呪わない。現実から目を背けて人のせいにして叩いたりしない。

  主人公は破滅的なブスでも、絶望的なコミュ症でもなく、激ヤセしてそれなりの美人になり、結果として喪女からリア充に成り上がった。意図せずとはいえ、主人公は自分が変化することによって、他人の評価を勝ち取ることに成功したのである。だから、このアニメは、匿名ダイアリーの主張を真に受けるなら、非常に喪女的な感性によって構成されたアニメと言える。

 そういうわけで、『私がモテてどうすんだ』は、「わたモテ」に対して不満を持っていた方々が、安心して見られるような作品になっていると思います。

 

私がモテてどうすんだ(1) (別冊フレンドコミックス)

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