優先席を使うべき人が使わないことによる不利益について

私が駅構内・車内で体験したモヤモヤ

今日、電車の中でモヤモヤしたことが2つほどあったので書いておきたい。

1つ目を事例A、2つ目を事例Bとしよう。

 

■事例A:足の不自由なおばあさんの例

ある駅で、列に並びながら乗り換えの電車を待っていた。しばらく待っていて、いよいよ電車が所定の位置に近づくと、私のすぐ後ろに並んでいた杖をついて腰の曲がったおばあさんが真後ろから私の隣に位置を変えた。そうしてそのおばあさんは、ドアが開くと、一目散に電車内に入って、空いていた一般席に座った。私たちが入ったドアは優先席の近くで、昼間の車内には空席が多くあり、もちろん優先席もガラガラの状態だったがそのおばあさんが座ったのは一般席だった。その後からヘルパーさんみたいな人が入ってきて、おばあさんの前に立った。

 

事例B:ベビーカーに子どもを乗せた3人の母親たちの例

事例Aのあとに、3人の母親が電車内に入って来た。3人ともベビーカーに赤ちゃんを連れていた。車内のほとんどの人たちは座っていて、3人分の空席もあったが、その女性3人は車両中央のドア前に陣取り、ぺちゃくちゃ喋って動かなかった。もちろんベビーカーは畳んでいないので、ドア前の空間を占有する形になっていて、そこを通る人にも、そのドアから降りる人にも邪魔になっていた。

 

モヤモヤの正体

上の2つの事例に関して私が感じた不満は「なぜ社会的弱者と言われる人々が優先席を使わないのか」ということである。健常者が障がいを持つ人々に配慮すべきだ、というの思想は優先席をはじめとした多くの福祉サービスの前提となっている。だから優先席に座るべき人が座る意思を見せないと、いろいろな不具合が起こるのだが、一般的に社会的弱者と言われる側にそういった意識が共有されていないように見える。

 

こういう指摘って障がい者や 幼児を抱えた母親とかではない立場、社会的弱者ではない立場のエゴなのか?

 

事例Aの場合、おばあさんが無理に一般席に座ろうとして他の乗客と衝突したら、双方が損害を追う恐れがある。またおばあさんの足が不自由だという情報が、後から乗る客に共有されないこともトラブルの種になりうる。その点、優先席に座ってくれれば、周りの人間は状況を早く察することができるから安心だ。

 

事例Bの場合、母親たち陣取っているドアからは乗客は容易に入ることも出ることもできないし、また側を通るにもベビーカーや母親たちのいずれかにぶつかってしまう。ベビーカーを折りたたむ必要は無いから、せめて座席の前に立つか、優先席付近にいてほしい。

それぞれ理由はあるのだろうが…

なぜ優先席を利用しないのかは、本人たちにとって正当な理由があるのだと思う。でもその正当性ははたして、彼ら/彼女らが以外の人間が耐え忍ばなければいけないリスクや苦痛の量を上回っているものなのか。

 

私には、そういった優先席を使うべきなのに使わない人たちが、周りの人間に要求している配慮の量が、社会正義から許容される量を超えているように見えた。

 

こういった主張をした場合、「優先席を使用することデメリットもたくさんある」という反論があるのは、何となく予想できるが今回の事例はそれには当てはまらないのではないか。

 

以上が今日のモヤモヤ体験でした。