コミュニケーションが嫌いだった

若い頃、人と話すのが苦痛だった。それは、なぜ他人の話を聞かなければならないのかというのもあったし、自分の話を聞いてもだれも喜ばないだろうな、という喋ることへの苦手意識も根底にあった。だから友人たちからは浮いた存在だったと思う。

 

そのくせ寂しいという感情は人並みに持ち合わせていて、友達と呼べるような存在がいないと不安でしょうがなかった。孤独に対する焦燥感のは、子ども時代から感じていたのだが、「孤独が好きなのだ」と自分に言い聞かせることで、その感情に向き合ってこなかったのである。

 

最近はコミュニケーションが楽しいと感じるようになった。これは単に年を重ねて趣味嗜好が変化しただけでなく、うまく人の話を聞いたり話せるようになったからなのだと思う。コミュニケーションの技術が向上したことによって、会話という課題が全く手の届かない難問から、努力すれば何とか解けるような問題へ易化したということだ。

 

昔の自分は会話を本音の言い合いのようなものとして捉えている節があって、うわべだけの会話など無意味!などと考えていた。いま思い出しても恥ずかしい。会話には、内容があれば技術はいらないという根拠のない考えを持っていて、ろくでもないことを何度も他人に言ってしまった気がする。

 

そのころに比べれば今はずっと進歩したといえる。ただ、それでも同年代の平均的な会話スキルに比べて自分のそれはまだ一定の基準には達していない。これを改善するにはとにかく場数をこなすしかないと思うのだが、その場があまりない。

 

場を作るには自分から積極的に動いて場を見つけなければならないのだが、それが難しい。なんとか一歩を踏み出して、会話技術を向上させたいとは考えているのだが、さてどうしたものか。