椎名林檎の『長く短い祭』のPVが素晴らしい
PVだけを繰り返し見る人間なんてあまりいないと思うし、多くの人はPVなんて曲の添え物ぐらいにしか考えていないだろうとは思う。そういう意味では、この5分に満たない映像はPVにはもったいないぐらい素晴らしい。ぜひ一本の映画として作り直してほしいぐらいに思う。
さて、肝心のPVのどこが素晴しいのかということだけど、これは見てもらうのが一番良く分かる思う。ただほとんどの人は一回見ただけでは、大まかなストーリーさえよく理解できないだろうし、何回見ても良さが分からない人には分からないかもしれない。だから、無粋なことだとは思うのだけれど、私が分かった範囲で、このPVについて解説してみたい。
PVの中で起こっていること
まずPVの中で起こっている事を、起こった順に記してみる。
⓪風呂場(夜)
- 蛇口から水が流れ、水で満ちたバスタブから水があふれている。
①部屋の中(夜)
- 夜、部屋(リビング?)の中、テレビの中で歌う二人。
- 風呂場、シャワーで手を洗っている。
- 白い服を着た女、ゆっくり顔を上げ、鏡で自分の顔を見る。
- 女、画面の右から現れ画面中央の奥へ歩く
- リビング、ソファ、テレビのある部屋
- 女下着姿で服を選ぶ。
- 赤い服に着替え財布を持って部屋を出る。
②通り・往き(夜)
- 女はネックレスを身につけ、右目を髪で隠し、通りを歩く。画面左手、手前から奥へ1台のタクシーが走って行き、一瞬それを目で追うが、すぐに下を向く。やがてまっすぐ進行方向に視線を移した後、今度は画面右側を見る。
- ガラス張りのバーがあり、中は無人で、備え付けられているテレビで二人が歌っている。女は店内に視線をやりつつ通り過ぎる。
- テレビの画面の中で二人が歌っている
- 通りを歩く女。背後には東京タワー(?)そして打ち上げ花火。女はふと立ち止まる。
- 花火
③クラブの前(夜)
- 店の前で男女が会話している。階段を下りる女。
④クラブ店内(夜)
- 薄暗い、紫がかった店内を歩く女。知り合いらしき長髪の女と何やら会話を交わす。
- 店の奥から別の誰かが手を振ってくる
- 笑顔で手を振り返す女。二人の男から声をかけられる。
- 男のひとりから紙を手渡され、軽い笑顔。
- 向き直った頃には真顔で、すぐにその紙を捨てる。
- 階段を下りる。
- 激しく踊る女。
⑤通り・帰り(夜)
- 歩きながら煙草に火をつける女。後ろにはタクシー。
- 鏡越しに道路上には何台ものタクシー(空車表示)が見える。
- 煙草を吸い、視線を下にして歩く女。
- 公園(夜)
- 煙草を片手に歩く女。周りはさっきより明るい。
- 煙草をゴミ箱に入れ、財布を捨てる。
- ネックレスを左手で外し、右手でファスナーを下して紫の服を脱ぐ。
⑥部屋の中(夜)
- 下着に白い服を着た女、口紅(グロス?)を塗り、立ちあがる。
- 斜め下を見ながら、ドアを開けてバスルームに入る。
- 風呂のふたを開けると、手を縛られ、口を塞がれた中年の男が現れ、女の方を見ると体を後ろに引く。※ここからは踊る女とのクロスカッティング
- 女は、バスタブの男とテープ越しに口づけを交わす。
- 一通りキスを済ますと、女は男から顔を離す。
- 男の方を見ながらシャワーヘッドを振り下ろす。
- さらにシャワーヘッドを振り下ろした後、脚で執拗に踏みつける。
⑦公園(夜)
- 手足を存分に動かして踊る女。そして公園の芝生を転がるように踊る。
- 地面から立ち上がると、赤い点滅する光(パトランプの光?)が女の顔を照らす。
- 遠くを見る女の背後にはスーツ姿の3人の男が立っている。
- 黒地にピンクの文字で「no verão as noites」
- しばらく何かを考えた後、女は振り返ろうとする。
⑧路上(夜)
- 鏡越しに道路を走るタクシー
時系列順の女の行動
以上を時系列順に整理すると、⑥、⓪、①、②、③、④、⑤、⑦の順になると予想される。
女がしたことを簡単にまとめると以下のようになる。
⑥、⓪、①手足を縛られた男にキスをした後、殴る蹴るなどし、手を洗って蛇口の水を出しっぱなしにした後、服を着替えて部屋を出る。
②クラブへ向かう途中ですれ違ったタクシーをちらっと見る。しばらくして女の背後で花火が上がる。女は一瞬立ち止まる。
③、④女はクラブで何人かの知り合いなどに会った後、しばらく踊る。
⑤煙草を吸いながら歩く。
⑥公園で煙草と財布を捨て、下着姿になって踊る。しばらくしてパトカーのランプが女を照らし、女の背後に3人の男が立ち、女はそちらに振り向こうとする。
繰り返し見てもイマイチ分からなかったこと
その1.女はなぜ2度踊ったのか?
一番ありそうだと思うのは、一回目のクラブでのダンスは、アリバイ工作のためで、2回目の公園でのダンスは、純粋に楽しみたかったからという解釈だと思う。つまり男が溺死する瞬間に女が男の部屋に居なかったという証言を作り出すためのアリバイ作りが一回目のクラブでのダンスだったというということだ。そしてこの考え方では、2回目は、警察に捕まる前の最後のダンスを楽しみたかったという解釈が成り立つ。しかしこの解釈には問題があって、1回目のダンスと2回目のダンスの間に、何かアリバイ工作を諦めさせるような出来事があってもいいはずなのに、その出来事が明示的には示されていないことである。
その2.タクシーを鏡越しに見ているのは誰か
その1とも関係するのだが、クラブで踊った後の路上で、女が煙草を吸っている間に挿入される鏡越しのタクシーのカットと最後のタクシーのカットの視点は一体誰の視点なのだろうか?ひとつには、警察の視点である可能性が考えられる。つまり警察がバックミラー越しに女を観察している視点であるということだ。しかしその映像には女の姿やタバコの火のようなものは映っていないので、確定できない。もうひとつの線としては、女の視点であるという解釈もできる。たとえば煙草に火を点けるシーンは、金属製のライターの映った背後の映像であると考えられる。女は、そこにクラブへ向かう途中に見たタクシーと同じタクシーの姿を見つけて、「これはもう駄目だ」と考えた。これなら女がアリバイ工作を諦めた理由も説明がつく。でも、この解釈はちょっとキツイ。
(追記)
バーらしきガラス張りの店を通り抜けたときに、椎名林檎が映っているモニターの下あたりに信号が映りこんでいるので、そこから女が見た景色があのタクシーだらけの道路なのかもしれない。ただ、そうだとしたら分かりにくすぎるし演出としては失敗と言っていいのかもしれない。
その3.男に暴行する前後の時系列
グロスを塗り口づけして暴行する、返り血をシャワーで洗い自分の顔を見る、クローゼットから服を選ぶ、部屋を出るという順番が最も適当だと思うが、はっきりと順番は示されていないし、一体いつバスタブの蛇口をひねったのかも映像として提示されていない。また、いつ暴行時に来ていた服を脱ぎ、おそらくは返り血が付いたであろう白い服をどのように処分しかたも不明である。どうしてこの辺の順番が分かりにくいかというと、もちろんPVの中で順番に提示していないという点もあるが、部屋の空間構造がよく分からないというのも大きい。序盤、女が鏡を見た後、ふらふらと画面左側から現れ、画面の中央奥に向かって歩くカットが挿入されるのだが、そのカットだけが浮いているように思える。それはカットとカットで空間が接続しているように見えないからである。またいつ女が蛇口をひねったかという問題に関しては、鏡でこれから人を殺そうという自分の顔を確認してから、蛇口をひねったという考えが一番妥当な気がするが、一方で服を着替えてから殺したという解釈も成り立つ。私としてはどちらかというと、後者の方がより想像力を掻きたてられるので好ましい。そして服を選んだあとの省略も説明がつく。
私が素晴らしいと思った点①視線
映画では当たり前の事だけど、視線による演出を効果的に使っている。まずクラブに向かう女は自分の右手を通り抜けていくタクシーにちらっと視線をやる。これは犯行が誰かに発覚し逮捕されるのを恐れているためだと考えられる。しかし、その次のシーンでは背後で花火が上がっている状況で、女は徐々に視線を上げ、ふと足を止めると、直後に夜空に花開く花火のカットが挿入される。これは女の視線からの映像だと考えられる。人を殺し、逮捕を恐れる女でさえ、花火が上がればそれをついつい見てしまう。美しいものを美しいと感じる感性は、殺人を犯した人間もふつうの人間と同じように持っている。
私が素晴らしいと思った点②ヘアメイクと照明
女優は表情でも感情を表そうとしているが、それより女の心理状態を的確に表しているのはヘアメイクと照明である。まず女が最初に通りを歩いているカット(タクシーが通りがかる)では女の前髪は右目にかかっていて、照明も赤みがかった色で統一されている。しかし次に女が通りを歩いているカット(背後に花火)では、前髪は右目にかかっておらず、女の顔の左側も明るく照らされている。
クラブの中での女は、アリバイ工作を企てているので、当然人前では愛想よく振舞うが、人が見ていないところでは、右目に髪がかかっており、男から顔を背けた途端に無表情になる女の顔を赤っぽい照明が照らし出す。
クラブからの帰り、タバコを吸いながら歩く女の前髪は右目に懸っているが、公園で服を脱ぎ踊りだす直前には前髪は戻っている。
踊り終わった後に立ちあがる女の顔に向かって風が吹き、女の右目は露出しているが、女の顔の右半分には暗い影が落ち、時折パトランプの赤い光によって照らされている。女の最後のカットでは、女の髪の輪郭が背後の街頭によって、黄金色に縁どられている。
まとめ
冒頭でも述べたように、PVというのは、往々にしてその楽曲の添え物程度のものになりがちである。そして楽曲が良いほどそういう傾向は強いように思える。この『長く短い祭』が素晴らしいのは、単なる曲の添え物に回収されないだけの魅力を持っているからだ。その理由は、製作者の意図が画面の隅々までいきわたっていることにあるのだと思う。それはすでに書いたように撮影、照明、メイク、役者、監督など作り手のそれぞれがプロフェッショナルとしての仕事をしているからなのだろう。
PVというのは、音声に頼らないという点ではサイレント映画への回帰と言える。しかし、そのサイレント映画としての魅力を活かして映像を作っている監督は少ない。ほとんどが歌詞の意味やメロディの持つ抒情性に頼って映像を構成しており、それがPVの持つ可能性を著しく狭めているのではないだろうか。その点、椎名林檎の歌詞というのは簡単には理解できないこともあり(笑)、そのことが音楽の意味から離れた映像作りを可能にしているのかもしれない。
PVがそれだけ低く見積もられている理由というのは、業界人ではないので想像するしかないのだが、単に金が無いとか、技術力が無いといった理由の他に、どんなに苦労して映像を作っても評価されないという背景があるのではないのだろうか。しかし私がこの『長く短い祭』のPVをYouTubeで見ている段階で、すでに再生数は350万を突破しており、将来的には『群青日和』の600万再生さえ抜く可能性さえある。PVでもちゃんと見ている人はいるし、私のようなものも含めて評価する人間もいるのである。今後も質の高いPVに期待している。
ちなみに似たような系統の作品としては私はThe Yellow Monkeyの「聖なる海とサンシャイン」が好きです。