昨日見た映画

テレビで放送していた映画版『るろうに剣心』をだらだら見た。マンガのアニメ化ということで扱うのが難しいだとは思うが無難な作りになっていた。原作への配慮もあり、服装や髪形などはポップなのだが、そこまで違和感は無かった。アニメやマンガの登場人物なんて誰が演じても不満が寄せられるものだとは思うが健闘していたと思う。ただ町並みが日本というよりは中国に近いところが気になった。

 

役者の中では武井咲が良かった。テレビドラマや映画で武井の演技を見ても一度も良いと思うことは無かったが今回初めて役に合っていると思った。武井の声はいわゆるアニメ声なので、リアリティを強く求められるドラマの中では浮いてしまうのだが、今回は設定自体に現実感が無かったので気にならなかった。

 

『マッドマックス 怒りのデスロード』におけるイモータンの統治について

 

 

マッドマックス 怒りのデス・ロード(字幕版)

マッドマックス 怒りのデス・ロード(字幕版)

 

 

 この映画を初めて見たとき、ストーリーについては十分に満足できたのだが、イモータンら敵役の統治の方法には多くの疑問と不満が残った。先日、この映画を再び見る機会があり、今回はその点に着目して鑑賞してみた。疑問と不満が全部解消されたわけではないが、収穫もあったので今回はこのことについて書いてみたい。

 

■マッドマックスの背景

 マッドマックスは核戦争後の荒廃した世界を描いている。この世界では、一面が荒野で植物は育たないらしい。加えてテクノロジーの大半は失われているのだが、自動車生産と武器製造、石油精製に関する技術は残っているようだ。この映画の登場人物たちは皆、自動車や武器を、まるでそれらが無限に手に入るものであるかのように惜しまず使う。

 

■政府ー市民の関係

 冒頭で明らかになるように、この映画の悪役の親玉であるイモータンらは岩山のような場所に穴をくりぬいて、そこに居住している。この岩山にはウォーボーイズというイモータンの私兵と政府の幹部らも住んでおり、政府の中枢はここに置かれている。イモータウンから何か伝えたいことがある時は、この岩山の下層部に住民を集め、岩山の上部に開いた穴からイモータウンが直接伝えるらしい。住民たちはみんなボロボロの服を着ていて、肌は汚れている。おそらく満足な物資を手に入れられていないからなのだろう。岩山の上部に開いている穴から水が放たれると、バケツのようなものを持った住民たちは皆それに群がる。冒頭だけ見ると、イモータンは市民に対して絶対的な権力を持っていて、住民たちは全く抵抗する術を持っていないように見える。

 

■イモータンの統治

 イモータンの統治は一般市民に対する統治と権力中枢に対する統治の2つに分けられる。それぞれについて書いていくことにする。

 

■一般市民に対する統治

  市民に対する統治の方法のひとつが資源の独占である。この世界における資源の価値=希少度は水>石油>鉄の順番となっている。そしてその多くの権限をイモータンらが握っている。水はイモータンらが独占しており、他に手に入れる手段が無い。また石油もある程度貴重らしく、映画では関所のような場所を通過するために取引の材料として使われる。対して、鉄はあまり貴重ではないらしい。武器や自動車は容赦なく破壊される。

 ここからは私の予想だが、この世界ではおそらく食料調達の手段もイモータンらによって独占されている。この世界の土地では植物は育たないし、水も得られない。だから市民は食料を自力で手に入れることはできないはずである。一方イモータンらは水耕栽培のような技術を持っており、野菜を栽培している。一般市民は政府からの配給か、あるいは市場のような場所に政府から供給された物を買うか、しか食料を手に入れる手段は無いのではないか。

 このように水や食料は政府によって完全に管理されており、このことが政府が市民に権力をふるう最大の源泉となっている。

 

■権力中枢での統治

 一方、権力の中枢では全く異なる方法が用いられている。まずはウォーボーイズという兵の存在である。彼らは都合の良いように、肉体的、精神的に強化された人間であり、寿命が短い代わりに、身体能力が高く、死を恐れない。なぜなら彼らはイモータンを崇める独特の宗教を信仰しており、イモータンに尽くして死ぬことで天国のような場所に行けると心から信じている。だから彼らにとってイモータンに貢献して死ぬことは本望なのである。

 また幹部を自分の身内で固めることも、イモータンの権限強化につながっている。自分の血のつながった人間でも裏切る可能性はゼロではないが、イモータンの場合、障害を持った自分のふたりの息子を高い地位に置いているので、その精神的な結束力を考慮すると離反することは考えにくい。

 また身内以外の幹部には頭の切れる人物は登用せず、戦闘狂など素行に問題のある人物を置くことも、権力をイモータンに集中するには有効である。

 以上のように、市民に対する支配に比べて、権力中枢に対する支配の方法は多様で、政権内の結束力は必然的に高かったと予想できる。

 

■イモータンの統治における問題(市民編)

 イモータンの統治にはいくつかの問題がある。まず市民に対して、アムとムチのバランスを全く欠いていることが大きな問題である。彼は市民に対しては、資源を制限するだけで、彼らに与えるような政策はなんら行っていない。教育や福祉、あるいは市場を活かすような施策を行わなければ、トータルの国力は伸び悩む。もし他に有力な国家が存在するならば、その国との競争に勝てない可能性が大きい。

 次に市民に対する統治の問題として、市民がイモータンを慕うような宗教やイデオロギー身に付けていないことが問題である。このためにも市民に対するアメ=行政サービスの存在は必要で、政府の危機に際して民衆がすぐに蜂起するようなことは防がねばならない。だからイモータンはウォーボーイズに行ったように、自分や自分の一族を神とみなすような宗教を市民にも普及するべきだった。

 

■イモータンの統治における問題(権力中枢編)

 イモータンは藤原一族のように、一族による権力独占や権力移譲の重要性を理解しておりそのための対策も実行したが、結果を出すのがあまりにも遅すぎた。ただこれは仕方のない部分もある。ふたりの息子が障害を持っていることから、イモータンの遺伝子には何らかの問題があったと考えられる。それに加え、高齢による精子力というか着床力に問題もあっただろう。ただ健康な女性を選んで子どもを産ませるというのは、畜生だとは思うが、政権の長期化のためには必要だった。

 そして幹部にイモータンの代わりになるような統治の知恵を持った人物やカリスマ性のある人物をたとえ非血縁者だとしても登用すべきだった。そうすることで非血縁者が支配者の座につく可能性はあるが、それでもイモータン一代で崩壊するよりはマシである。健康な子供が生まれるまでは血縁者以外を後継者に据える選択を捨てるべきではなかった。

 

■イモーダンの統治における問題(まとめ)

 イモータンの統治の問題をまとめると知の軽視ということに尽きると思う。武力による支配は非効率的であり、長期政権を築くには向いていない。イモータンはカリスマ性によって現在の地位まで上り詰めることができたのだろうが、次世代はそうはいかない。現在のような体制では、イモータンが死んだらそこで終わりである。だから人間の持つ合理性と非合理性を利用し、可能な限り多くの人的、物的資源を体制維持のために動員しなければならない。そのためのカギが「知」である。

 しかし、ここまで書いて考えてしまったのは、極限的な状況において「知」の持つ力がどれほどのものなのか、ということだ。核戦争後の世界では、土地はもちろん、人間自体も汚染されている。そういう状況では、たとえ自分の子孫であっても、潜在的な異常によって自分より早く死ぬ可能性もある。結局頼れるのは自分だけであり、自分さえ信用できない人間は狂気に身を任せるしかない。世界が狂気に支配されているならば、人間も狂人のように振舞うのが最も正しい生き方なのかもしない。そういう意味で、ウォーボーイズはこの世界を象徴する存在であり、そのウォーボーイズ=狂気を最もうまく手懐けたイモータンが権力を握るのは必然だったと言える。

 知は狂気に勝てるのだろうか。イモータンは死んだが、それによって知が狂気に勝ることが証明されたわけではない。イモータンに代わって支配者になったフュリオサがユートピアを実現して初めて、狂気の世界における知の優位が証明されるのだろう。

映画『ノロイ』のサスペンス分析メモその1

 

 今回は下の記事に書いたような方法で、映画『ノロイ』のサスペンス分析を行った。

motsurima.hatenablog.com

シーン1の出来事、情報

  • 封印されたビデオの存在。
  • 小林の人物紹介。
  • ノロイ』ができるまでの経緯。
  • 小林家の火災。
  • 小林の妻の死。
  • 小林の失踪。

サスペンス一覧

  1. なぜ火災が起こったのか。
  2. 小林はどこへ消えたのか。
  3. なぜ小林は消えたのか。
  4. 小林の作品『ノロイ』はどのような内容なのか。
  5. なぜ小林の作品『ノロイ』が見られる状態で保管されているのか。

シーン2の出来事、情報

 小林は都内の一軒家に住むある家族のもとを訪れる。母親によると2・3か月前から隣家から幼児の鳴き声が聞こえるという。小林は隣家を訪れるが、現れた女に罵られ取材を拒否される。その場を去ろうとしたとき、隣家の窓から小林の方を見ている少年がカメラに映る。この時に聞こえた異音を解析すると人間の幼児の鳴き声だと分かる。

サスペンス一覧

  1. 幼児の声はだれの声なのか。
  2. 隣家の女はなぜ怒っているのか。
  3. 窓から小林を見ていた子どもは誰なのか。→(予想)隣家の女の子供?
  4. なぜ子どもは小林を見ていたのか。

シーン3の出来事、情報

 後日、家族のもとを訪れると隣家の住人が引越し、それとともに幼児の鳴き声も聞こえなくなったと告げられる。隣家の庭を捜索し、女の名前が石井潤子と分かる。さらに捜索するとハトの死骸が落ちている。小林は幼児の鳴き声を聞いたという家族に挨拶をし、その場を去った。唐突に画面下部に「2人は、この5日後に死亡した」のテロップ。

サスペンス一覧

  1. なぜ隣家は引っ越したのか。
  2. なぜ幼児の鳴き声は聞こえなくなったのか。→(予想)石井一家と幼児の鳴き声が関係していた。
  3. なぜハトの死骸が落ちていたのか。→(予想)石井潤子が殺した。
  4. なぜ家族は死んだのか。→(予想)石井一家に関係がある。

シーン4の出来事、情報

 超能力を持った小学生が登場するテレビ番組。矢野加奈という少女のみ第1問から第4問までの透視実験に正答する。しかし第5問で顔のような絵を書いて不正解。次の物質化現象の実験では、空のフラスコ内に水を出現させることに成功する。水を鑑定すると淡水で中に入っていた毛は新生児のものである可能性が高いという。

サスペンス一覧

 

  1. 超能力は本物なのか。
  2. なぜ第5問のみ失敗したのか。
  3. 第5問の顔は何なのか。
  4. 淡水はどこのものなのか。
  5. 髪の毛は誰のものなのか。

シーン5の出来事、情報

 小林は矢野家を訪れる。実験後、加奈が寝込んでいると母親から聞かされる。医師にも原因が分からないとい言う。小林は加奈が超能力を使いすぎたのではないか、と話す。

サスペンス一覧

  1. なぜ加奈は寝込んでしまったのか。→(小林の予想)加奈が超能力を使いすぎたから。

シーン6の出来事、情報

 アンガールズ松本まりかがテレビ番組の収録のため神社を訪れる。霊感があるという松本の指示に従ってついていくと、枯れ木が生えた場所に着く。枯れ木に触ろうとするアンガールズを松本が制止し、直後に松本は変な音が聞こえたと話す。松本はもう一度枯れ木の方を見めつると、その場にうずくまり、地面に寝転んで叫びだす。アンガールズがカメラを止めるように指示し、映像が終わる。

サスペンス一覧

  1. なぜ神社の境内に枯れ木が生えているスポットが存在するのか。
  2. なぜ松本はアンガールズに枯れ木に障らないように指示したのか。→(予想)呪われるから。
  3. 松本は一体なんの音を聞いたのか。→(予想)幼児の声
  4. なぜ松本は叫びだしたのか。→(予想)取り憑かれた。→6.何に。
  5. 松本はそのあとどうなったのか。→(予想)(死亡or入院)

シーン7の出来事、情報

 トークライブ「怪奇実話ナイト」の文字。舞台上には司会者と小林、松本の3人が座っている。松本が収録地の状況について語る。そして松本を霊視するため、掘光男が登壇する。しかし掘は突然松本に抱きつき、「鳩が山だ」などと叫び、会場を追い出される。

サスペンス一覧

  1. 収録と小林の関係は何なのか。
  2. 掘とは何物なのか。
  3. 掘の「鳩が山だ」発言はどういう意味なのか。
  4. 掘はこの後どうなったのか。

サスペンスの結果

松本まりかは無事だった。→(S6-5の結果)=不首尾。

シーン8の出来事、情報

 小林は神社での収録のディレクター新橋に会いに行く。新橋は松本に以前収録の映像を渡したが、その映像はある部分をカットしたものだと告げる。新橋が画面の右側に注目するように小林に促す。

サスペンス一覧

  1. 新橋はなぜ映像をカットして松本に渡したのか。→(予想)怪奇現象が映っていた。
  2. 画面の右上カットした部分には何が映っていたのか。→(予想)怪奇現象が映っていた・

シーン9の出来事、情報

 小林は出版社で新橋から渡されたビデオテープを松本に見せる。そのビデオテープを見た松本は、スケジュール帳を取り出し、そこに描かれている落書きを小林に見せる。この落書きを書くようになったのは神社を訪れた後からだと言う。その後、カットなしの映像が流れる。松本の右側には人影が映っていた。

サスペンス一覧

  1. なぜ小林は松本にビデオテープを見せたのか。
  2. なぜ松本は落書きを書いてしまうのか。→(予想)神社で取り憑かれた。
  3. 松本の右側に映っていた人は一体だれなのか。

サスペンスの結果

収録された映像には人影が映っていた。→(S8-1,2の結果)=成立

シーン10の出来事、情報

 小林が矢野宅を訪れる。加奈の熱が下がったというが、代わりに加奈が見えない相手と話していると母親が告げる。小林が加奈に対して母親には見えない人の正体を問いただすと、加奈は「たぶんね、もう全部ダメなんだよ」と言う。

サスペンス一覧

  1. 母親には正体が見えない加奈の話相手はだれなのか?→(予想)幽霊?S4の透視実験で加奈が書いた顔。
  2. 「たぶんね、もう全部ダメなんだよ」の意味。

シーンの11出来事、情報

 夜、矢野一家が夕食を食べていると、突然可奈のスプーンが折れ、料理が皿ごと移動しテーブルから落ちる。頭を抱え叫ぶ可奈。両親は加奈を寝室へと入れる。

サスペンス一覧

  1. なぜテーブルの皿は落ちたのか。
  2. これは加奈の超能力によるものなのか。
  3. この後加奈はどうなってしまうのか。

ここまで分析してみた感想

 『ノロイ』はいわゆるドキュメンタリーとフィクションを融合させたモキュメンタリーという手法を使ったホラー映画である。そのため従来のジャパニーズ・ホラーで用いられているような視覚的・聴覚的演出というのは、あまり使われていない。この先、一体なにがおこるのか、というサスペンスに特化した怖がらせ方をしていてサスペンス分析に合っている。実際に分析をやってみてそのことに気付いた。現在冒頭から30分ほど、内容を要約しサスペンスと思われる部分を抜き取ってみたがやはり30分では提示されたサスペンスに対する答えはまだまだ見えてこない。前半は謎が提示されるばかりである。次回のサスペンス回収に期待したい。


Noroi the curse trailer - YouTube

リング0バースデイについての覚書

 

リング0?バースデイ? [DVD]

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作品の構成

  • いわゆるジャパニーズ・ホラーの延長上にある作品ではない。
  • 日本映画の延長上にある作品でもない。
  • 複数の映画が組み合わさっている。
  • たぶん洋画ホラー的な演出が混ざっている。
  • エクソシストとかダリオ・アルジェント作品に近いものを感じる。
  • ホラー的な演出は少なめ。
  • 内容的には違うけど脚本の構造は『イングロリアス・バスターズ』に近いのではないか。

田中好子

  • 主役の仲間由紀恵を完全に食っている。
  • 画面に登場しただけで空気が変わる。
  • 田中好子だけ世界観(演出)が違う。
  • ヒットマンあるはアサシン的存在。
  • 脚本上、田中好子のストーリーライン?が別に一本存在する。

貞子=仲間由紀恵

  • 単純ではない二重人格的設定
  • 他の人格が支配している時の記憶がないというのはベタだが便利。
  • 自分が望まないことを自分の守護霊的存在がやってしまう。
  • その結果他人から恨まれる、ということのドラマ性。
  • 二重人格の別の人格は別の場所に存在している。

貞子=ルーシー(エルフェンリート

 二重人格で、メインの人格がサブの人格をコントロールできない、かつサブの人格が超人的な能力を使える、というのはまんま『エルフェンリート』のルーシー=みゅうと同じで、どちらかがパクったとまでは言えないものの、かなりありがちな設定なのかもしれない。

 

エルフェンリート 全12巻 完結セット (ヤングジャンプコミックス)

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 でも清楚な美少女のもう一つの顔が凶悪な殺人気であるという設定がかなり魅力的なことに変わりは無い。まずその少女は罪の意識に苛まれるだろうし、少女のことが好きになった男には必然的に恋心と恐怖の葛藤が生まれる。あるいは自分の愛する肉親を奪った殺人犯の正体がその少女の別の顔だったとしても、その男は愛を貫くことができるだろうか、といったストーリーもおもしろい。

 問題は主人公の性格が、単に清楚な美少女が二重人格で、本人がそのことに気付かず、また別の顔がエスパーの凶悪殺人鬼だったとしても、それだけでストーリーがおもしろくなるわけではないということだ。その点は『リング0』の場合も『エルフェンリート』の場合も同じで、主人公の背景に魅力的で説得力のあるストーリーが必要となる。主人公の設定をマネするにしても背景だけはオリジナルで魅力あるものを作らなければならないのだろう。

貞子=キャリー?

 貞子に一番近いのはデ・パルマの『キャリー』かもしれない。貞子は二重人格のキャリーと考えるのが最もピッタリくる。だけどキャリーの主人公の設定には貞子ほど魅力を感じない。自分が『キャリー』の内容を半分以上忘れていることが原因かもしれないが。あと『キャリー』は女同士のいじめとか生理とかを扱っていることも苦手な原因の一つだ。でもいい機会だから見直してみるのもいいかもしれない。デ・パルマは嫌いじゃないから。

 

 

映画『キングダム』

 

 

ストーリー

サウジアラビアの外国人居住区が正体不明の集団によって襲撃される。原因究明のためにFBIの調査員が派遣されるが、大規模な爆発が起こり、調査員の多くが死亡する。調査員の友人であったジェイミー・フォックスらFBIらの精鋭部隊は、同僚を殺した犯人を特定するため、現地に赴く。イスラム教の信仰やサウジアラビア軍の抵抗によって、捜索は難航するが、世話係を務めるサウジアラビア軍のハイサム軍曹の手助けもあり、徐々に犯人に近づいて行く。

感想

上映時間は110分とのことだが、もっと短く感じた。序盤にFBIの捜査官が死んで、にジェイミー・フォックスたちはその仇打ちを行うというストーリーの大まかな形が提示されて、最後までその目的のために調査したり、交渉したり、戦ったりする。このシンプルさが良かった。そして撮影がすばらしい。どのカットも外しておらず、構図が工夫されている。

『マイ・ボディガード』―復讐者が動揺する瞬間

 

 

マイ・ボディガード 通常版 [DVD]

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登場人物の揺るぎなさ―女は女である

ゴダールの映画に『女は女である』というタイトルの作品があるが、この『マイ・ボディガード』においても同じことが言える。つまりデンゼル・ワシントンデンゼル・ワシントンであり、誘拐犯は誘拐犯なのである。誘拐犯は誘拐犯であるから誘拐を遂行し、デンゼル・ワシントンはデンゼル・ワシントンであるから、復讐を遂行する。そこに疑いを挟む余地は無く、彼らは与えられた役割を確実に遂行する。

 

揺るぎなさが壊れるとき

しかし、この映画の中で一番心動かされるのは、その揺るぎなさが破られる瞬間にある。終盤、デンゼル・ワシントンが犯人の家族の家に突入し、誘拐犯のリーダーの家族を人質にとって、電話でリーダーの男に居場所を尋ねる。この時、思いがけずダコタ・ファニングが生きていたことが判明し、復讐は完全に達成されることなく空中分解する。

 

なぜデンゼル・ワシントンは死なねばならなかったのか

 この映画を見た多くの人たちはこう思っただろうし、私も最初は思った。しかし、そもそも男が復讐者になった理由は、ダコタ・ファニングが殺されたからであり、彼女が生きていることが分かった以上、復讐者は復讐者たりえない。映画の序盤から示されていたように、デンゼル・ワシントンはメキシコの地に赴いたときから、死に場所を探していたのであり、ダコタ・ファニングと出会ったことで一時的に生きる理由を見つけただけである。しかし復讐によって彼はもう戻れない場所にまでたどり着いてしまった。それは彼女が生きていることが分かったとしても、どうにかできる種類のものではないのである。

 

死は絶望か、救いか

これは分からない。でも振り返ってみると、デンゼル・ワシントンの死は、最初から宿命づけられていたようにも思える。ラスト・シーンのあの長い橋を渡る間に、彼は振り返る余裕もあっただろうし、踵を返して逃げ出すこともできたはずだ。だけど、彼はそういう素振りを全く見せず、もくもくと歩き続けた。彼は何もかも全て受け入れていたのである。そういう点では死が彼に与えられるということは彼にとっての救済であったのかもしれない。この映画は、一度死に損ねた男が、死を全面的に受け入れる映画なのである。

 

死に損ねた男が死ぬ映画

似たようなテーマとして思い浮かんだのが、黒沢清の『ニンゲン合格』。ただ、こちらの方が『マイ・ボディガード』より断然古い。黒沢清フィルモグラフィーの中でもかなり地味な部類に入るけど、好きな人は好きなんじゃないか、と。


License to Live 1998 - Movie Trailer - YouTube

『マイ・ボディ・ガード』単調なキャラクターと複雑なストーリー

例えば『ダイハード』であれば、平穏な日常→家族が誘拐(監禁)でピンチ→犯人との激戦→日常の回復というお決まりの展開で、多くのアメリカ映画もこのフォーマットに当てはまっているのだが、『マイ・ボディ・ガード』は違う。物語の中盤、ダコタ・ファニングが誘拐された後、デンゼル・ワシントンが入院している間に、身代金の受け渡しの失敗によって、ダコタ・ファニングを殺した、という通告が犯人からなされる。そこからデンゼル・ワシントンの復讐という名の殺戮が始まる。しかし、終盤になってダコタ・ファニングが生きていたことが判明し、デンゼル・ワシントンは自らの命と引き換えに彼女を救う。これがおおまかなストーリーである。

 

普通の映画は、人質の奪還という目的のために戦闘を繰り広げるのだが、この映画ではそれが無い。物語の中盤からデンゼル・ワシントンは純粋な復讐のために、誘拐に関わった人物を全員血祭りにあげいく。それも相手の言い分など全く受け付けず、いわば殺人マシーンとしての仕事を全うするのだ。このあたりの描写は徹底していて、誘拐に加担した者がたとえどのような弱みをみせようとも容赦しない。

 

この映画の最良の点はそこにあると私は考える。つまり主人公デンゼル・ワシントンは深い苦悩を抱えているが、決して迷ったりはしないのである。この事はストーリーを通して一貫していて、物語の序盤においては、彼はボディガードとして雇われたのであるから、ダコタ・ファニングが誘拐される危険性が目の前に迫っているならば、たとえ相手が警官の格好をしていても射殺して、護衛という与えられた任務を全うするのである。そして物語の中盤以降、彼の目的は復讐に変化し、手段を問わずにそれを成し遂げるのである。