『マイ・ボディ・ガード』単調なキャラクターと複雑なストーリー

例えば『ダイハード』であれば、平穏な日常→家族が誘拐(監禁)でピンチ→犯人との激戦→日常の回復というお決まりの展開で、多くのアメリカ映画もこのフォーマットに当てはまっているのだが、『マイ・ボディ・ガード』は違う。物語の中盤、ダコタ・ファニングが誘拐された後、デンゼル・ワシントンが入院している間に、身代金の受け渡しの失敗によって、ダコタ・ファニングを殺した、という通告が犯人からなされる。そこからデンゼル・ワシントンの復讐という名の殺戮が始まる。しかし、終盤になってダコタ・ファニングが生きていたことが判明し、デンゼル・ワシントンは自らの命と引き換えに彼女を救う。これがおおまかなストーリーである。

 

普通の映画は、人質の奪還という目的のために戦闘を繰り広げるのだが、この映画ではそれが無い。物語の中盤からデンゼル・ワシントンは純粋な復讐のために、誘拐に関わった人物を全員血祭りにあげいく。それも相手の言い分など全く受け付けず、いわば殺人マシーンとしての仕事を全うするのだ。このあたりの描写は徹底していて、誘拐に加担した者がたとえどのような弱みをみせようとも容赦しない。

 

この映画の最良の点はそこにあると私は考える。つまり主人公デンゼル・ワシントンは深い苦悩を抱えているが、決して迷ったりはしないのである。この事はストーリーを通して一貫していて、物語の序盤においては、彼はボディガードとして雇われたのであるから、ダコタ・ファニングが誘拐される危険性が目の前に迫っているならば、たとえ相手が警官の格好をしていても射殺して、護衛という与えられた任務を全うするのである。そして物語の中盤以降、彼の目的は復讐に変化し、手段を問わずにそれを成し遂げるのである。