『マッドマックス 怒りのデスロード』におけるイモータンの統治について

 

 

マッドマックス 怒りのデス・ロード(字幕版)

マッドマックス 怒りのデス・ロード(字幕版)

 

 

 この映画を初めて見たとき、ストーリーについては十分に満足できたのだが、イモータンら敵役の統治の方法には多くの疑問と不満が残った。先日、この映画を再び見る機会があり、今回はその点に着目して鑑賞してみた。疑問と不満が全部解消されたわけではないが、収穫もあったので今回はこのことについて書いてみたい。

 

■マッドマックスの背景

 マッドマックスは核戦争後の荒廃した世界を描いている。この世界では、一面が荒野で植物は育たないらしい。加えてテクノロジーの大半は失われているのだが、自動車生産と武器製造、石油精製に関する技術は残っているようだ。この映画の登場人物たちは皆、自動車や武器を、まるでそれらが無限に手に入るものであるかのように惜しまず使う。

 

■政府ー市民の関係

 冒頭で明らかになるように、この映画の悪役の親玉であるイモータンらは岩山のような場所に穴をくりぬいて、そこに居住している。この岩山にはウォーボーイズというイモータンの私兵と政府の幹部らも住んでおり、政府の中枢はここに置かれている。イモータウンから何か伝えたいことがある時は、この岩山の下層部に住民を集め、岩山の上部に開いた穴からイモータウンが直接伝えるらしい。住民たちはみんなボロボロの服を着ていて、肌は汚れている。おそらく満足な物資を手に入れられていないからなのだろう。岩山の上部に開いている穴から水が放たれると、バケツのようなものを持った住民たちは皆それに群がる。冒頭だけ見ると、イモータンは市民に対して絶対的な権力を持っていて、住民たちは全く抵抗する術を持っていないように見える。

 

■イモータンの統治

 イモータンの統治は一般市民に対する統治と権力中枢に対する統治の2つに分けられる。それぞれについて書いていくことにする。

 

■一般市民に対する統治

  市民に対する統治の方法のひとつが資源の独占である。この世界における資源の価値=希少度は水>石油>鉄の順番となっている。そしてその多くの権限をイモータンらが握っている。水はイモータンらが独占しており、他に手に入れる手段が無い。また石油もある程度貴重らしく、映画では関所のような場所を通過するために取引の材料として使われる。対して、鉄はあまり貴重ではないらしい。武器や自動車は容赦なく破壊される。

 ここからは私の予想だが、この世界ではおそらく食料調達の手段もイモータンらによって独占されている。この世界の土地では植物は育たないし、水も得られない。だから市民は食料を自力で手に入れることはできないはずである。一方イモータンらは水耕栽培のような技術を持っており、野菜を栽培している。一般市民は政府からの配給か、あるいは市場のような場所に政府から供給された物を買うか、しか食料を手に入れる手段は無いのではないか。

 このように水や食料は政府によって完全に管理されており、このことが政府が市民に権力をふるう最大の源泉となっている。

 

■権力中枢での統治

 一方、権力の中枢では全く異なる方法が用いられている。まずはウォーボーイズという兵の存在である。彼らは都合の良いように、肉体的、精神的に強化された人間であり、寿命が短い代わりに、身体能力が高く、死を恐れない。なぜなら彼らはイモータンを崇める独特の宗教を信仰しており、イモータンに尽くして死ぬことで天国のような場所に行けると心から信じている。だから彼らにとってイモータンに貢献して死ぬことは本望なのである。

 また幹部を自分の身内で固めることも、イモータンの権限強化につながっている。自分の血のつながった人間でも裏切る可能性はゼロではないが、イモータンの場合、障害を持った自分のふたりの息子を高い地位に置いているので、その精神的な結束力を考慮すると離反することは考えにくい。

 また身内以外の幹部には頭の切れる人物は登用せず、戦闘狂など素行に問題のある人物を置くことも、権力をイモータンに集中するには有効である。

 以上のように、市民に対する支配に比べて、権力中枢に対する支配の方法は多様で、政権内の結束力は必然的に高かったと予想できる。

 

■イモータンの統治における問題(市民編)

 イモータンの統治にはいくつかの問題がある。まず市民に対して、アムとムチのバランスを全く欠いていることが大きな問題である。彼は市民に対しては、資源を制限するだけで、彼らに与えるような政策はなんら行っていない。教育や福祉、あるいは市場を活かすような施策を行わなければ、トータルの国力は伸び悩む。もし他に有力な国家が存在するならば、その国との競争に勝てない可能性が大きい。

 次に市民に対する統治の問題として、市民がイモータンを慕うような宗教やイデオロギー身に付けていないことが問題である。このためにも市民に対するアメ=行政サービスの存在は必要で、政府の危機に際して民衆がすぐに蜂起するようなことは防がねばならない。だからイモータンはウォーボーイズに行ったように、自分や自分の一族を神とみなすような宗教を市民にも普及するべきだった。

 

■イモータンの統治における問題(権力中枢編)

 イモータンは藤原一族のように、一族による権力独占や権力移譲の重要性を理解しておりそのための対策も実行したが、結果を出すのがあまりにも遅すぎた。ただこれは仕方のない部分もある。ふたりの息子が障害を持っていることから、イモータンの遺伝子には何らかの問題があったと考えられる。それに加え、高齢による精子力というか着床力に問題もあっただろう。ただ健康な女性を選んで子どもを産ませるというのは、畜生だとは思うが、政権の長期化のためには必要だった。

 そして幹部にイモータンの代わりになるような統治の知恵を持った人物やカリスマ性のある人物をたとえ非血縁者だとしても登用すべきだった。そうすることで非血縁者が支配者の座につく可能性はあるが、それでもイモータン一代で崩壊するよりはマシである。健康な子供が生まれるまでは血縁者以外を後継者に据える選択を捨てるべきではなかった。

 

■イモーダンの統治における問題(まとめ)

 イモータンの統治の問題をまとめると知の軽視ということに尽きると思う。武力による支配は非効率的であり、長期政権を築くには向いていない。イモータンはカリスマ性によって現在の地位まで上り詰めることができたのだろうが、次世代はそうはいかない。現在のような体制では、イモータンが死んだらそこで終わりである。だから人間の持つ合理性と非合理性を利用し、可能な限り多くの人的、物的資源を体制維持のために動員しなければならない。そのためのカギが「知」である。

 しかし、ここまで書いて考えてしまったのは、極限的な状況において「知」の持つ力がどれほどのものなのか、ということだ。核戦争後の世界では、土地はもちろん、人間自体も汚染されている。そういう状況では、たとえ自分の子孫であっても、潜在的な異常によって自分より早く死ぬ可能性もある。結局頼れるのは自分だけであり、自分さえ信用できない人間は狂気に身を任せるしかない。世界が狂気に支配されているならば、人間も狂人のように振舞うのが最も正しい生き方なのかもしない。そういう意味で、ウォーボーイズはこの世界を象徴する存在であり、そのウォーボーイズ=狂気を最もうまく手懐けたイモータンが権力を握るのは必然だったと言える。

 知は狂気に勝てるのだろうか。イモータンは死んだが、それによって知が狂気に勝ることが証明されたわけではない。イモータンに代わって支配者になったフュリオサがユートピアを実現して初めて、狂気の世界における知の優位が証明されるのだろう。