良い映画の基準

 

トゥモロー・ワールド プレミアム・エディション [DVD]

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 『トゥモロー・ワールド』という映画をパソコンについているDVDで見たらめちゃくちゃ面白かった。

 

見る前はパソコンで映画を見ることに不安を感じていたのだけど、それが杞憂に終わって本当によかったと思う。

 

パソコンで映画を見ることの何が嫌かって、インターネットに浮気してしまうことだ。

 

つまらない映画、展開が遅い映画だと、私の場合すぐインターネットにつないで

ネットサーフィンをしてしまうのでパソコンは映画を見る環境としてはあまり適していない。

 

だけど今回は映画の面白さの方が、インターネットの誘惑に打ち勝ったので、浮気をすることなく映画を見られた。

 

これって映画の良し悪しを測る一つの基準になると思う。

 

つまりインターネットにすぐつなげられる環境で映画を見て、一気見出来たらその映画は良い映画。一気見出来なければ、その映画は悪い映画。ということがとりあえず言えるのではないか。

 

トゥモロー・ワールド』という映画の何が良かったかというと、この映画展開がめちゃくちゃ早いのだ。

 

普通の映画だったら、例えば主人公が親しい友人の死に直面したら、その感情を主人公に表明させ、観客の共感を誘うが、この映画の場合、観客が十分に感情移入する前に物語が展開していく。私はそこが面白いと思った。

 

マンガで言えば浦沢直樹の描く作品みたいなもので浦沢の映画をうまく映画化したら『トゥモロー・ワールド』に近づけると思った。

 

 

EM菌で有名な比嘉照夫氏が出演している映画『蘇生』

 YouTubeを見ていてたまたまこの予告編を見つけました。映画のタイトルは『蘇生』で監督は白鳥哲という方です。最後まで見ると、「2015年春全国公開」と表示されます。しかし、この予告がYouTube公開されたのは2016年の8月1日で、アップしたのが白鳥哲監督の公式アカウントなので、どういう意図があるのか詳しくは分かりませんが非常に興味深い内容となっております。

www.youtube.com

 このドキュメンタリー映画『蘇生』には、琉球大学元教授の比嘉照夫氏が出演しています。

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映画『SILENT HILL』―アメリカ大衆向け映画の限界

 映画『SILENT HILL』はもちろんあのゲームソフトの映画化作品である。前々から名前は聞いていたのだが、今の今まで見ずにいた。それをたまたま昨日見たのだが、ちょっとがっかり、というのが正直な感想である。

 とはいえ良いところは数多くあって、冒頭のガソリンスタンドの光の感じもなぜか全く違う作風の『シェルブールの雨傘』のラストを思い起こさせるほどに良く、それ以外に関しても、総じてビジュアル面での出来は良かった。

 しかし多くのアメリカ製エンターテイメント映画の脚本がそうであるように、この映画もアメリカの下層階級に向けて作っているようなところがあり、表現の複雑さとは対照的にシンプルすぎるメッセージを発していてそこが個人的には残念だった。

 具体的には、宗教より理性、集団主義より個人主義、そして何より家族が大事というアメリカにおいて絶対に揺るがないイデオロギーが基盤にあり、アメリカのマジョリティさえ満足させればよいという作りになっているところが、この映画の限界に思えた。

 原作のSILENT HILL』にはもっと複雑なメッセージがあって、そのために、あの奇抜なモンスターが襲ってくるわけで、単に『邪悪vs正義』の構図を作りたいのであれば、もっと分かりやすいキリスト教的な悪魔の化身を登場させれば良いのではないかと思ってしまった。

 これまでいくつもホラー映画を見てきたが、基本的にアメリカのカトリックの価値観に沿って作られたホラーは面白くない、と結論付けてしまって良いと思う。

 

サイレントヒル [DVD]

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「邦画クソ」で思ったこと

togetter.com

 弁当がどうのこうのって話は完全にナンセンスだが、一連のまとめとそれに対する反応を見ているとなんだかやりきれない気持ちになる。原則アニメを見る人はアニメしか見ないし、ゲームをやる人はゲームしかやらないという状況があるはずなのに、多くの人が自分が知らない分野について、むやみやたらに語りすぎている。いくらアニメ好きの間で水島努細田守が有名であるとしても、世界の非オタクの一般人にとっては、黒沢清中田秀夫のほうが確実に名前を知られている。だけど自分が所属するトライブのことしか見えていないから、邦画には固有名として扱われる監督がいないみたいに結論付けてしまう。本当はアニメも音楽も、そして日本映画を含めた映画もそれぞれに奥が深く味わうには一定の訓練が必要なはずだが己の審美眼の無さや知識の無さに疑問を持っていない人があまりにも多い。表現を理解するのに一定の知識と経験が必要だということは大学の一般教養の授業を1つ、2つ受ければ誰でも分かるはずだ。文系廃止がダメという訳じゃないが、芸術、文学系の一般教養の講義を減らしたら、こういった訓練されていないお気軽批評家が今よりさらに増えることだろう。

ガンダムに似てしまったJ・Jの新スターウォーズ

 

スター・ウォーズ フォースの覚醒 レイのサバイバル日記

スター・ウォーズ フォースの覚醒 レイのサバイバル日記

 

 

 この映画を見た多くの人が感じたことだろうけど、今回の「スターウォーズ」は「ガンダム」に似てしまっている。というのも物語を構成している要素がことごとくガンダムシリーズで見たことがあるものばかりなのである。例えばレジスタンス運動に身を投じた兵士が兵器に乗り込む「こいつ動くぞ」的な展開もあるし、もちろん全シリーズに続いて父と子の確執もある。また惑星ぐらいの大きさの巨大なレーザー砲で、一方の戦力を一掃するというシーンもある。とにかく新スターウォーズのストーリーはガンダムにそっくりなのである。

  でも、ここまで聞いてそんなの当たり前じゃないかと思う人もいるだろう。そもそもガンダムの側がスターウォーズの設定をいろいろ流用したのだから似ているのは当たり前じゃないか、ということだ。おそらくその指摘は正しい。ガンダムビームサーベルなどスターウォーズの要素をいろいろ取り込んでいるのは間違いない。だから設定が似ていることは否定しようがない。ただ物語という点で両者には決定的な違いがあって、そのためにガンダムと旧スターウォーズは設定は類似していても、ほとんど比較されることはなかったのだと思う。その物語やテーマ性の違いが一体何に由来するのかというと、おそらくはジョージ・ルーカス富野由悠季という2つの作品の監督の作家性に原因があるのではないか。

 思うに、ルーカスというのは脚本家としてかなり偏った個性を持っている。スターウォーズでは親子の確執やダークサイドというテーマを執拗に描かれていた。おそらくこれがルーカスの作家性なのだと思う。一方でガンダムの監督である富野は、強烈な個性を持った人物を登場させることで有名だが、特定のテーマにこだわる事無く、様々なメッセージを持ったストーリーを作り出している。つまりルーカスというのは言わばアーティストであり、富野はどんな仕事もこなす職人だったのである。だから、両者のつくる作品は表面上似ていても、深い部分ではまったく異なっていた。

 しかし、監督がルーカスからJ・J・エイブラムスに変わったことで、もはや両者の物語に関する明確な違いが無くなってしまった。そういうことで今回のスターウォーズガンダムの物語は至極似てしまっている。これはもちろん製作者がパクったなどということは無くて、純粋に多くの人に受け入れられるストーリーを考えた結果、そうなったのだと思う。だとしたら本当にすごいのは富野由悠季なのであろう。

 

教えてください。富野です

教えてください。富野です

 

 

『クソすばらしいこの世界』 いっそB級ホラーのように単調であれば良かった、と考えてしまうのであった。

 

クソすばらしいこの世界 [DVD]

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2回見た。1回目はふつうに、2回目はオーディオコメンタリー付きで。オーディオコメンタリー付きでの鑑賞は、最後まで見るつもりは無かったのだが、おもしろくて結局最後まで見てしまった。これまで見た映画の中で一番良いオーディオコメンタリーだったと思う。作品自体がつまらないという人は、オーディオコメンタリー付きで見ることを薦める。逆に1回目は見るのがきつかった。見る前は日本人が作ったB級映画っぽい作品なのかと思っていた。序盤までは確かにB級映画っぽかったのだが、途中から『ホステル』のようなグロ要素が加わり、さらにSF要素も入って、けっこう盛りだくさんな内容だったと思う。

 

ストーリーは、アメリカの日本人留学生5人と韓国留学生1人が休日に山にドライブに出掛けるが、途中で殺人鬼の兄弟に出合い、次々と殺されていくというもの。

 

『ホステル』系の作品が苦手なので、初めて見た時はグロシーンが辛かった。暴力描写や傷口の描写が非常に完成度高く描かれているので、そういう作品が好きな人にとってはたまらない映画なのかもしれない。

 

途中から加わるSF要素はある年代の日本人ならお馴染みかもしれないが、ホラー映画では見たことが無い。こういう突飛な展開は、ストーリーを意外性のあるものにしているともいえるし、話を無駄に複雑にしているというようにも考えられる。この要素がなければ普通のB級映画っぽい映画のテイストになっていたかもしれないが、私はこの展開は間違っていなかったと思う。なぜなら、日本人のキャラクターでは、B級映画は成立しないと、見ていて確信したからである。B級ホラーは、ヒステリックに叫んだり、急に異常な行動力を発揮する女や、無駄に明るい黒人やプレイボーイの白人の存在があって初めて成立するものだと思う。そして日本人にそこまでの極端さを求めるのは不可能だ。だから捻った展開を加えたのは正解だったと思う。

 

ただ作品全体に何となく薄っぺらい印象があるのも事実で、そこが映画としての評価を下げているのかもしれない。登場人物について、あまり掘り下げがなされていなくて、ステレオタイプとして描かれている。もちろんそれは狙ってのことなのだろう。

 

B級ホラーならば、それでもいいのかもしれないが、そこにSF要素が加わると観客は意味やメッセージなるものを求めてしまう。それは人間としての性なのだと思う。そういう点でなかなか評価の難しい映画だと思った。

『死霊館』ジェームス・ワン

 

 

ジェームス・ワンが作るホラー映画は明快だ。霊や悪魔には目的があり、その目的のために怪奇現象を起こす。また人間も、霊や悪魔の目的を理解し、その達成を阻止するために全力を尽くす。前半のパートは怪奇現象の原因を究明し、後半では霊や悪魔と対峙して除霊をする。この点は『インシディアス』でも『死霊館』でも共通している。そして話が暗くなり過ぎないのもポイントで、怖さとエンターテイメント性の両立が達成されている。こういった点はジャパニーズホラーと比較すると一目瞭然で、ワンのホラーはジャパニーズホラーの欠点を浮かび上がらせてくれる。つまりJホラーは今考えると、霊の存在の不明瞭さや曖昧さぶ頼り過ぎているところがあり、また暗い話・バットエンドの傾向が強く後味が悪い。