バカにする人にこそ聞いてほしいMr.Childrenの『雨のち晴れ』
ミスチル(Mr.Children)と言えば、好きだと言えば馬鹿にされるグループの代表格みたいな存在だけど、彼らの曲に限って言えば、私はそういう馬鹿にされるタイプの曲の方が好きだ。高尚なものなど求めていないので、ファストフードみたいに「旨い!安い!早い!」曲を提供し続けてくれればそれでいい。だけど、ある時期からのミスチルはそういう曲を全然作歌ってくれなくなったので悲しい。
ミスチルの中でどの曲が一番好き?と聞かれても、自分でも把握してないのでちゃんと答えられないのだが、『雨のち晴れ』という曲は間違いなく5本の指に入るくらいに気に入っている。とは言っても、この曲、『終わりなき旅』や『名もなき詩』なんかに比べると、全然有名じゃない。でも、ファストフードっぽさが非常に強くてそこに魅かれている。
『雨のち晴れ』
90年代のトレンディ・ドラマをそのまま一つの曲にしてみました、という感じの物語性の強い曲だ。あるいは久保ミツロウのマンガにありそうなスト―リーと言ってもいい。現在のミスチルもそうだけど、こういう歌詞の曲って全然聞かなくなった。20代・30代男性労働者のために作られた曲っていうのが、最近はほとんどない。
それはもしかしたら、よく言われている女性の社会進出やなんかで、そういったニーズの中心が男性から女性に移ったからなのかもしれない。確かに、最近のテレビドラマは女性を主人公にしたものが多く、しかも高視聴率を取っている気がする。
まぁ、それは置いといて、肝心の歌詞の内容だけど、この歌詞は地味に凝っている。まず1番、2番、3番とあるのだけど、この中に複数の時制があって、最近のことを話してたと思ったら急に昔の話になったりして、これが映画でいうフラッシュバックみたいに効果的に作用している。では、1番から順に時制に注目して追っていこう。
1番の歌詞
単調な生活を繰り返すだけ~
(略)
~部屋でナイターを見よう
主人公は現在の日常生活を「単調」だと言っているが、その状態を肯定しつつある。親友との約束をキャンセルして、部屋でナイターを見るくらい人間関係に対して疎かだ。
あの娘が出て行ったのはもう3か月前~
(略)
~あれほど燃え上がってたふたりが嘘みたい
3か月前、同居していた彼女と別れたが、そのことについて強い感情は湧かなかった。昔あれほど愛し合っていたのが信じられないほどだ。
最近じゃグラマーな娘にめっぽう弱い~
(略)
~まるで手ごたえがない
最近、女性の好みが変わったらしく、グラマーな娘が好きだ。(3か月前別れた彼女はグラマーでは無かった?)新人のマリちゃんはグラマーだが先輩の自分が言い寄ってもまるでなびく気配はない。
不景気のあおり受けて社内のムードは~
(略)
~いっそ可憐に咲きほころうかと思うよ
最近は世の中は不景気で、他のみんながピリピリしている分、新人に言い寄るくらいお気楽な僕の存在だけが車内で浮いてる。上司に愚痴言われるくらいが花だというので、愚痴を言われ続けても耐え続けるつもりだ。
もうちょっと 頑張ってみるから~
(略)
~今日は雨の日でもいつの日にか
今日は雨(悪い状態)でも、いつか晴れる日が来るかもしれないので、もうちょっと頑張ってみようと思う。
2番の歌詞
お前って「暗い奴」そう言われてる~
(略)
~2羽のインコを飼う
幼少の頃からずっと「暗い奴」って言われている。今、ダイニングとキッチン(もう料理を作ってくれるあの娘はいない…)のある狛江(23区外)のアパートには、出ていったあの娘の代わりに2羽(つがい)のインコを飼っている。
たまに実家に帰れば、真面目な顔して~
(略)
なるべくいい娘を探したいって思っちゃいるけど
(現在)たまに実家にに帰ると、母親に「孫の顔が見たい」みたいなことを言われる。普通、こういうことを言われるのは嫌なものだけど、(最近は)その気持ちが分かるようになってきた。
もうちょっと 僕を信じてみて
(略)
イメージはいつの日でも雨のち晴れ
現実がどうであれ、自分の頭の中にはいつでも、雨のち晴れ(物事が良い方向に進む)のイメージがある。
3番の歌詞
優秀な人材と勘違いされ~
(略)
~頭を下げていた
(入社した当初)優秀な人材と勘違いされたことで、人間関係で酷い目に逢った。(今ではその勘違いは解消されたということ?)
若さで乗り切れるのは~
(略)
~誰も分からない
(入社してから今までは)若さで乗り切ってきたけど、それも今年まで。この先(将来)どうなるかなんて誰も分からない。
その日暮らし 楽しく生きりゃ~
(略)
また日が暮れる
その日が楽しけりゃそれでもいいのかもしれないと、そんなことを考えはするのだけど、なにもできずに毎日が過ぎていく。
もういいや 疲れ果てちまった
(略)
今日は雨ふりでも いつの日にか
疲れたとは言いながらこれまでもやってきた。今日は雨でもいつかは変わるかもしれない。
もうちょっと 頑張ってみるから
(略)
イメージはいつでも雨のち晴れ
いつの日にか 虹を渡ろう
頭の中では良くなるイメージがあるので、もうちょっと頑張ってみる。いつの日にか、虹を渡るぐらいにうまく物事が進むだろう。
まとめ
ここまで読んできて、なんとなく分かったと思うが、この曲の歌詞はある種の自己啓発みたいな内容を含んでいる。今は悪い状態かもしれないけど、ポジティブに、自分を肯定して生きていけば、きっと良いことがあるよ!、みたいなことを歌っているのだ。だから、この曲を嫌う人がいる気持ちも分かる。私もそういう歌は嫌いだ。
だけど、この歌にはリアリティがあるので、そういったうさん臭いものと一定の距離を置くことに成功していると私は思う。つまりメッセージをただ単に歌詞として書き連ねるのではなく、そこにテレビドラマのように明確な輪郭を持った登場人物を出演させることで、メッセージに説得力をもたせ、軽薄さを感じさせないようにしているのだ。これが90年代のミスチルが成功した大きな理由だと思う。
問題は2000年代後半以降のミスチルからは、ほとんどこういった魅力が消え失せてしまっていることだ。その結果、自己啓発的なうさん臭さや説教臭さだけが残ってしまった。このことが個人的には悲しい。ポジティブなことをひたすら吐いてるだけじゃ、そこに説得力が生まれないので、曲はどんどん空虚なものになる。
この点に関してミスチルに期待するのはもう無駄な気がする。一時期のポルノグラフィティがそういう曲を作っていたが、彼らももう旬は過ぎた感がある。だから実質的には今男性の労働歌、それもある程度ポップでロマンチックなものを歌える人はいない。ここにぴったりフィットする人が現れれば、めちゃくちゃ売れると思うんですが、いかがでしょうか?
追記
労働歌でググったらこのサイトにたどり着いたんですけど、確かに『「恋するフォーチュンクッキー』は、女性目線であるものの、素晴らしい労働歌だと言えますね。