ストーリーテラーとしての手塚

 手塚治虫は天才である。なんてことはお前に言われんでも分かっとる、と突っ込まれそうだが、私は分かっていなかった。つい最近までは。
何がきっかけでそう思い至ったのかというと、最近図書館においてある、手塚の作品をいくつか読んでいた時に気づいたからである。前々からよくその手の称賛の言葉は聞いていた。でも、それはマンガの先駆者としての評価であり、すぐれたマンガ作家としてのそれであった。最近気づいたのは、そういうことではなく、ストーリーテラー、物語製作者としての手塚の発想力が並大抵のものではない、ということであり、手塚はこの点においては現役の多くの作家さえ凌ぐとさえ私は感じる。というのもブラックジャックの読み切り一話一話の設定が、一つのマンガとして十分に成立するほど濃密で、破綻無く作られており、ことごとく高い完成度を誇っているからである。
 手塚は凄い。確かにそうなのかもしれないが、「絵」としての手塚マンガは、現代のマンガを見慣れている我々からすればインパクトに欠ける。ただ物語の恐ろしいほどの洗練さが現代になってますますその凄さが目立つようになってきた。現代でも設定の奇抜さがウケている作品はあるが、実はその多くが手塚が読み切り作品でよりスマートに描かれていたりする。『進撃の巨人』や『テラフォーマーズ』など、個々に突出した作品はあるものの、物語や設定という点においては手塚的想像力の範疇にある、ということが出来るのではないか。