マイケル・マンと川上未映子の近さ 「苺ジャムから苺をひけば」

新潮 2015年 09 月号 [雑誌]

普段は小説を読まないのだが、図書館でたまたま手に取った新潮に川上未映子の小説が載っていて、それを読み始めたら止まらなくなり、結局最後まで読んでしまった。その小説のタイトルは「苺ジャムから苺をひけば」。

 

小学6年生の女の子が主人公で、この物語はその女の子の視点から語られている。1人称の小説は読みやすく、そのうえ人間関係が難しすぎすぎないのが良い。女の子はへガティーと呼ばれていて、友達の名前もチグリスなど横文字の名前で揃えられていて、外国の話?とも思ってしまうのだが、正真正銘、日本の話である。なぜそんな変な名前なのか、という事は中盤になるまで明らかにされない。そういった仕掛けも含めて、小説全体の構造がかなり綿密に練られていて、小説を読み終わった後にそういった事に気づいて、思わず、「小説を読むことの醍醐味ってこういうことだよなぁ」とひとりでうんうんと唸ってしまった。

 

川上未映子の魅力は、分かりやすいところで言えば一人称の文体にあるのだが、そういった細部とは別に、小説の全体の話の流れにも十分な気配りがされていて、読みやすいのに、読み終わった後に、いわゆる文学を読み終わった後の充足感を味わえるという点にも魅力がある。そういった点では村上春樹に近い。

 

一方で村上春樹と違うのは、川上未映子の方がより映画的であるという点にあると思う。村上春樹は内向きの傾向が強くて、主人公の心理面に並行して、物語が停滞してしまうのだが、川上未映子の場合は主人公の精神面とは関係なく物語が展開して、それに対して主人公がその時々状況に適応したり、適応できなかったりして、状況に対して主人公がリアクションを示すということが私は映画的だと感じた。つまり川上未映子の小説では、絶えず時間が流れているように感じるのである。

 

この小説の中には映画の『コラテラル』が出てくるのだが、まさに川上未映子というのはマイケル・マンの作る映画に近いのではでは無いかと思う。

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