ドキュメンタリー作家の政治性

 ドキュメンタリー映画の監督である想田和弘が、都知事選に出馬する細川・小泉陣営へのネガティブキャンペーンを展開している。彼はこれまでも、宇都宮氏への支持を表明してきたが、「意見が変わる可能性がある」とった発言に見られるように、一定の中立的な態度を守り続けてきた。しかし、今回「マガジン9」に掲載されている文章を読めば分かるのだが、彼は政治への関わり方の姿勢を変化させたようである。

政策も人物も宇都宮さんがいちばんなのに、なぜ、細川・小泉連合に一本化せよというのか。

「脱原発派候補 「一本化」議論に思うこと」(『映画作家・想田和弘の観察する日々』より)

 彼は、人気・知名度のある細川・小泉陣営への一本化を勧める脱原発派に対して、考えを改めるよう訴えかけている。細川・小泉陣営の掲げる脱原発が、具体性がなく、空疎なものであるから、というのがその理由らしい。

現時点では細川氏の「脱原発」が本気なのかどうか、細川氏とその側近以外、誰にも分からないはずです。再稼働を容認するのかどうかも判然としません 

 「脱原発派候補 「一本化」議論に思うこと」(『映画作家・想田和弘の観察する日々』より)

 私はこれまで『選挙』をはじめとしていくつかの彼の映画を見てきたが、今後はもう彼の作品を見ることはないと思う。ここまで深く政治にコミットした人物の作品を色眼鏡なしで見ることができないからだ。森達也といい想田といい、なんで同じような方向に進むのか。映画作家なら、言葉じゃなくて映画で勝負すればいいのに。