SEKAI NO OWARI分析

 SEKAI NO OWARIって、名前だけは知っていたのだけれど、ふと思いついて曲を聴いた見たら、なんだか大したことはなかった。音楽を聴きはじめた中学生ぐらいの子が好きになる理由は何となく理解できるけど、大人の鑑賞に耐えうる曲ではない。

 2,3年前であれば、こういう素直な、そして応援要素のある歌詞はFUNKY MONKEY BABYSあたりが歌っていて、それより以前だと、オレンジレンジが、そういう系統に属する歌を歌っていた。聴いていて、なんとなくハッピーになれたり癒し要素のある曲をSEKAI NO OWARIも歌っている。

 SEKAI NO OWARIオレンジレンジFUNKY MONKEY BABYSと違うところは、ヤンキー的なものへの訴求力が全く感じられないところだ。そういう点ではゆずやズピッツに近いのかもしれないけど、ゆずやスピッツほど尖った音楽性を持っているわけでもない。

 一方で、グループの中にゆるふわ系の女の子やファンシーなかぶり物をかぶったメンバーの存在が、独特の雰囲気を醸し出している。音楽的な特徴は薄いかもしれないが、ここまでイメージ戦略がうまく言っていれば、SEKAI NO OWARIのファンは、ファンであることに後ろめたさを感じ必要はないだろう。

 つまり、SEKAI NO OWARIというのは、今の若い世代が安全に消費できるコンテンツなのである。ただ、そういう受け入れ方は上の世代の一部にとって容易に理解できない。例えば、浜崎あゆみ椎名林檎のファンは、歌手の世界にどっぷりと浸かることが、正しいファンのあり方であると認識しているようなところがある。そういう世代からすれば、SEKAI NO OWARIが提示する世界観は生ぬるいものに感じるだろう。

 SEKAI NO OWARIと同時代的に活躍しているバンドとして、サカナクションみたいな先鋭的な音楽づくりを目指しているバンドも存在する。そういう点では、現在の音楽業界というのは、業界全体で、ある種バランスが取れた状況にあるのかもしれない。