アニメ『ダンガンロンパ』感想

 サクサク見られるという点で、エンターテイメントとして評価できるが、このアニメを見たからと言って自分の認識が更新されるわけでもないし、思想も深まらなかった。もう二度と見返すようなことはないだろう。

 展開がテンポよく進むところは良い。登場人物がひとり殺されると、主人公たちは現場を回って証拠を集める。証拠がそろうと、学級裁判が開かれ犯人を特定する。特定された犯人は殺害の動機を語り、モノクマによるおしおき(=処刑)を受けて退場する。この一連のサイクルが、淀みなく展開するので、一気に見られる。

 ただ見終わって、何も残らないし、あれこれ語るようなことは何も思い浮かばなかった。そういう点では『ダイ・ハード』や『ミッション・インポシブル』と同じだ。違う点は、このアニメに感じる特有の不快感は最後まで快感に変わらない、ということだ。

 モノクマの発言やおしおき(=処刑)のグロテスクさが持つ「極端な露悪性」が不快感の原因なのだけれど、この「極端な露悪性」が視聴者に納得のいくような形で処理されはしない。他のアニメは『ダンガンロンパ』よりもずっと丁寧に悪に対する対処策を提示しているので、必然的に『ダンガンロンパ』のストーリーはその浅さを露呈する形になっている。

 「露悪性」という言葉で週刊少年ジャンプに連載していた「DEATH NOTE」を思い出した。この作品も個人的にはあまり好きではなかったが、読者に「なるほど!」と思わせるような仕掛けがあった(私には頭の良い主人公にはとても思えなかった)。それと比較しても、この『ダンガンロンパ』は浅い。たぶんゲームのファンか『DEATH NOTE』を見ていない世代に向けて作られたのだろう。

 「絶望」に対して「希望」で対処するという答えで納得できるのは、たぶん中学生ぐらいまでで、こんなことを語るために十数話費やしてきたとなると見ているこちらが悲しくなる。そもそもこのアニメにおける「絶望」にしても、現実における絶望とは違う。あくまで思考実験としての、閉ざされた環境のなかでの「絶望」で、想像の中での「絶望」でしかない。

 アニメの後半で、閉ざされた環境の外にも絶望の世界があることがほのめかされるのだけど、その学校外の絶望にしてもリアルさに欠けている。民衆たちは、ゾンビ映画におけるゾンビのように、欲望のままに破壊行為を続けていると説明されるのだが、そんなものはゾンビ映画における絶望ではない、ということをこのアニメの製作者は分っていないのだろうか。このアニメはどこまで行っても現実とは接続していなくて、「絶望」も「希望」も中身は空虚である。

 最近のアニメのほとんどは、アニメの中の絶望と現実の絶望を、何らかの形で接続する工夫をしているので、ストーリーの掘り下げの浅さが目立った。ゲーム原作だから仕方のないことかもしれないが、近頃のアニメを参照して作り変えるだけの工夫がほしかった。