ミッド・サマー、悪の偶像など見た映画の短評

 長い映画評を書く気力がないので最近見た映画の感想を短くをここにまとめる。

■ミッド・サマー

こういう映画がアメリカで人気を博し、日本でも全国上映されているという事実にまず感動する。これは傑作というより自分にとって滅茶苦茶価値の高い映画といったほうが良い。ふつう、映画に出てくる出来事の悲惨さは、観客があまりにショックを受けないよ制御されているものだ。しかし、この映画はそんな観客の事情など関係ないとばかりに不快さのレッドラインを悠々と超えてくる。映画を単にレジャーだととらえている人間はこんな映画絶対に見ないだろう。

 

■悪の偶像

これはクライムサスペンスであり、エンターテイメントな部分もあるのだが、その枠からあまりにはみ出しすぎている。韓国お得意の暗く重い、そして政治的要素の強い映画である。もちろん金曜ロードショーで流せるような映画ではない。脚本が練りに練られているのだろう、ストーリーの壮大さには圧倒されるのだがここまでやらなくもて映画としては十分に面白いのにと思わないでもない。つまり、私が映画に求めるものとはすこし違う思想のもとで作られている。とはいえ、今の日本映画の力では作り上げることのできないタイプの作品であることは認めざるを得ない。

自称・ひきこもりにうんざりする

https://www.youtube.com/watch?v=kO4ErE4XWBM


引きこもりぼっちが1年間自宅で筋トレを続けた結果【家トレ】

上の動画を見てほしい。

いや、見なくていい。

私だって見ていないのだから。

 

タイトルを読んだだけでうんざりする。

引きこもりぼっちが1年間自宅で筋トレを続けた結果【家トレ】

とのこと。

 

この人は一年間自宅で筋トレしてムキムキになったらしい。

実際に動画は見ていないから正確じゃないかもしれないけどたぶんそういう内容だ。

 

うん、すばらしい。

報われるかどうか分からない努力を1年間コツコツと続けてきた。

それは間違いなく素晴らしい。

 

でも引きこもりぼっちじゃないよね。たぶん。

ひきこもりの99パーセントは筋トレをしないし動画も投稿しない。

人の視線が怖いからひきこもっているのである。

外に出ることに抵抗があるから引きこもりなのだ。

ひきこもりというのは「家から出ない」という客観的な状況を指す言葉ではない。

「家から出られない」心の状態を指した言葉である

 

だから動画で他人の目に触れる覚悟ができている人間がひきこもりを自称するのは、ひきこもりから見るとおかしい

youtubeはこんな自称を偽ったタイトル詐欺の動画ばかりである。

 

自称が軽い

あまりにも軽すぎる

 

ひきこもりは好きでひきこもりを背負っているのではない

胸を張って「私はひきこもりです」なんて言えるものではない

そういう感覚が忘れ去られている

社会問題としてのひきこもりに対する意識が低すぎる

 

本当に苦しんでいる人のために、自分はひきこもりだと言えない人のために

「ひきこもり」という自称は取っておきたい。私はそう思う。

 

※動画投稿者に悪意がないことは理解してます

久しぶり

 ここのブログ、というかアカウントに久しぶりにたどりついた。1年以上見ていなかったし気にしてなかった。こんなにもブログというものが自分にとってどうでもいいものだとは知らなかった。

 

 twitterはずっとやっていた。というかtwitterですべて事足りた。そちらの方が反応もいいし、自分で呟くことと他人のツイートを見ることを同時にできるので便利だった。その点、はてなブログは他人のブログを見ることと自分のブログの記事を書くことの間には大きな溝がある。それが不便で見なかった。

 

 あとずっとはてなブログを見てなかった理由はもう一つあって、はてなブログproを更新せずに放置していて、その結果どうなるかが怖くて見てなったということもある。結果としてブログにほとんど変化はないように見える。広告を張ったブログは広告が停止している可能性があるが、それはそれで仕方のないことだと諦めていた。しかし、久しぶりにここに来てみて予想以上に変化がないことに驚いた。

 

 twitterで困ったことはほとんどなかったが、たまにどうしようもなく長文が書きたくなることはあった。twitterでも自分のツイートに自分でコメントを付けることで、長文のようなものを書くことはできる。ただ、それはあくまでツイートの連なりであって長文ではなかった。ひとつひとつのツイートの独立性が高く、どうも構成的な文章を書くのには向いていないメディアだなという実感は常にあった。

 

 書きたいことは、映画のこと、ADHDのこと、あとは政治のことなどでこれは以前とほとんど変わっていない。アマプラに入ったのでアマゾンプライムで映画を多くみられる状況にあるのだが、結局見れていない。パソコンで映画を見るというのは今の私にとって著しく困難なことらしい。ファイアスティックを安い時に買おうと昨年末からずっと考えているのだけど、コロナの影響からなのかアマゾンのセールで全く安くならない。まったく商売上手なことである。

筋トレを続けてるのに体重が減ったときに考えたこと

 筋トレを毎日続けているのに筋肉量が減った。2週間前は52.5kgあったのが今日は52.1kgになっている。0.4kgの減少である。この2週間、ジムにほぼ毎日通っていたと思う。1時間と短い時間ではあったが充実したトレーニングができていたと思う。それにも関わらず筋肉は少なくなってしまった。これは反省して改善しなければいけない。原因を探って改善につなげ、次は絶対に筋肉を増量させて見せる。

 

筋肉が減った原因とその対策

①運動量が足りなかった

 毎日1時間筋トレしていたとは言え、総量が足りていなかったのかもしれない。最近になって知ったのだが、時短トレーニングの場合、アームカールなどの単関節種目よりもBIG3(ベンチプレス、スクワット、デッドリフトなど)のような多関節種目のほうが効果が高いらしい。これからは多関節種目を中心にメニューを組み立てることで、運動の総量をあげることにする。

 

②タンパク質摂取量が足りなかった

 運動後のいわゆるゴールデンタイムにプロテインを飲んでいたがそれ以外の時間はあまり飲んでいなかった。またプロテイン以外からのタンパク質摂取にもあまり気を使っていなかった。これからは肉や魚を意図的に食べることはもちろん間食にプロテインを飲むことでタンパク質摂取量を飛躍的に増加させたい。

 

③測定機器の問題

 今回・前回とも測定したのはジムにあるTANITAの体重計・体組成計であるが、この精度がどうもまずいのではないか。そういえば前回計ったときも、一か月前から0.4kgしか筋肉量が増えておらずひどく落胆したのだが、あの結果も怪しかったように思う。自宅にある体重計・体組成計で毎日測ればもっと精密なデータがとれるうえ、モチベーションアップにも役立てられる。

 

まとめ

 というわけで今回の反省から思いついた改善策は全部で3つ

  1. 多関節種目を中心にメニューを組み総運動量を増加させる
  2. タンパク質をこまめにたくさん摂って筋肉の合成を増加させる
  3. まめに筋肉量を図ってモチベーションアップ

これらをすべて実行して2週間後までには失った0.4kgの筋肉を取り戻したい。

改定後の日商簿記試験2級 問題別の受験テクニック・心構え

 先日、日商簿記2級に合格したので、問題別の受験テクニックについて多くの人の役立つよう書いていきたい。

 

 初めに、最近の日商簿記試験2級の傾向について話す。結論から言えば、日商簿記試験2級は以前より難しくなった。日商簿記試験の合格率は以下の通り。

148回(2018年2月)  29.6%

149回(2018年6月)  15.6%

150回(2018年11月) 14.7%

151回(2019年2月)  12.7%

 

https://www.kentei.ne.jp/bookkeeping/candidate-data/data_class2

 

 148回の29.6%を最後に20%を下回る状況が続いている。当初は出題範囲が拡大しただけで難化したわけではないというのが、商工会議所と簿記予備校の共通見解だった。しかし前回151回の第3問を多くの予備校講師が批判するなど混乱が続いている。

 

 この合格率をどう考えればよいのか?例えば151回の合格率は12.7%なのだが、その受験者の中に149回・150回で合格を逃し、その間ほぼ1年勉強し続けた人がいると考えると、この12.7%という数字がいかに過酷かわかってもらえるのではないか。

 

 なぜここまで合格率が低下したかというと、一つの試験のなかで少なくとも1問はこれまで出題されたことのない形式の問題を出題するようになったからである。149回では第2問で外貨建取引、第3問で本支店会計、150回では第2問で税効果会計連結会計、そして151回では第3問で子会社間取引のある連結会計を出題するなど、受験者の意表をつくような出題が続いている。

簿記2級の受験テクニック

 それでは簿記2級が難化したという前提で、簿記2級の受験テクニックについて書く。

 

 ①工業簿記(第4問・第5問)は満点を目指す

 どこの予備校講師も言ってることだが、工業簿記で満点(40点)を目指さなければ合格は難しい。工業簿記は商業簿記と違って出題範囲が増えていない。また出題傾向も安定しているため点数が稼ぎやすい。ここで満点を取って商業簿記で30点以上を目指すのが最も合理的な戦略ではないだろうか。これから簿記2級の学習を始める人には工業簿記から学習することをすすめる。また試験の際も工業簿記から解き始めるのが良いのではないか。

 

②第2問は難問でなければ高得点を目指す

 第2問で出題される銀行勘定調整表・株主資本等変動計算書は出題のされ方がワンパターンで新範囲が絡む可能性も低いため高得点が狙える。一方、固定資産や有価証券はリース会計や税効果会計に関連した問題が出る可能性があるため高得点を狙うよりも解けないと分かった時点であきらめて別の問題に取り組むのが良い。また149回で出題された外貨建取引の問題は計算が複雑で時間がかかった。外貨建取引と分かった時点で後回しにして他の問題を解くという手もある。

 

③第1問と第3問は運(笑)!部分点を確実に取る

 第1問は仕訳を書くだけなので簡単に思えるかもしれない。しかし、この第1問には罠が多い。ちょっとした勘違いで2,3問落とすこともありうる。解ける問題で確実に得点することが重要だ。そして第3問は自分が勉強した範囲が出るように神に祈ろう。もっとも簡単な精算表ならラッキーだが、貸借対照表損益計算書だと少し複雑になる。本支店会計や連結がでたらパニックになるという人もいるかもしれない。そういう時は「取れる部分だけでも取ればいいや」という考え方でOKだ。第3問はパーフェクトを目指すより部分点を稼ぐことが重要である。

 

まとめ

 というわけで、日商簿記試験2級を合格したいなら受験時に次のようなことを心がけるといい。

  • 第4問と第5問の工業簿記で満点を目指す
  • 第2問で銀行勘定調整表・株主資本等変動計算書が出たら満点を目指す
  • 第2問で固定資産や有価証券が出て難しい問題が出たらあきらめて別の問題を解く
  • 第2問で外貨建取引など複雑な計算が絡む問題が出たら後回しにする
  • 第1問、第3問は運の要素が大きいので満点より部分点を狙おう

頭がごちゃごちゃしていた休日と叔母と母

 今日は一日中頭の中がごちゃごちゃしていた。理由は、休日ということもあって両親と叔母が家の中にいるということ、昨日母から法事の予定があると伝えられていたということなどが挙げられる。ということで、朝からゲームをしながら嫌々ながら行く法事が何時からなのかとゲームをしていたのだが、母から午後になって法事に行かなくて良いと伝えられ、せっかく外出しようと思ってたところを潰してまで家の中で待っていたのに…と自分の頭の中はさらにごちゃごちゃしたのだった。

 

 そしてゲームをしながら考えたのだが私は叔母の喋り方が苦手なのだと思った。叔母はもう60前後なのだが声が甲高くリアクションがでかい。この叔母と話すと必要以上に感情を動揺させられるので疲れるし、話すとなると無理やりテンションをあげなければならないので息苦しい。私は簡単に会話のON\OFFのスイッチを切り替えられるほど器用ではないのだ。

 

 そもそも頭がごちゃごちゃするのはADHD気質のせいなのだとほぼ確信しているのだが、今いる環境というのは、このADHD気質に関してあまり良いものではないと考えている。特に、時には心強い母のサポートというものがADHD関連に関してはあまり期待できない。おそらく母もADHD気質を持っているからなのだろうが、その質の部分が多弁な母と無口な自分では表面的な方向性が違いすぎているので互いに理解できない。

コミュニケーションが嫌いだった

若い頃、人と話すのが苦痛だった。それは、なぜ他人の話を聞かなければならないのかというのもあったし、自分の話を聞いてもだれも喜ばないだろうな、という喋ることへの苦手意識も根底にあった。だから友人たちからは浮いた存在だったと思う。

 

そのくせ寂しいという感情は人並みに持ち合わせていて、友達と呼べるような存在がいないと不安でしょうがなかった。孤独に対する焦燥感のは、子ども時代から感じていたのだが、「孤独が好きなのだ」と自分に言い聞かせることで、その感情に向き合ってこなかったのである。

 

最近はコミュニケーションが楽しいと感じるようになった。これは単に年を重ねて趣味嗜好が変化しただけでなく、うまく人の話を聞いたり話せるようになったからなのだと思う。コミュニケーションの技術が向上したことによって、会話という課題が全く手の届かない難問から、努力すれば何とか解けるような問題へ易化したということだ。

 

昔の自分は会話を本音の言い合いのようなものとして捉えている節があって、うわべだけの会話など無意味!などと考えていた。いま思い出しても恥ずかしい。会話には、内容があれば技術はいらないという根拠のない考えを持っていて、ろくでもないことを何度も他人に言ってしまった気がする。

 

そのころに比べれば今はずっと進歩したといえる。ただ、それでも同年代の平均的な会話スキルに比べて自分のそれはまだ一定の基準には達していない。これを改善するにはとにかく場数をこなすしかないと思うのだが、その場があまりない。

 

場を作るには自分から積極的に動いて場を見つけなければならないのだが、それが難しい。なんとか一歩を踏み出して、会話技術を向上させたいとは考えているのだが、さてどうしたものか。