最近の椎名林檎への個人的な考えと、紅白歌合戦
椎名林檎のインタビューが話題になっている。
新聞で見た「15歳の女の子」へ――椎名林檎、ものづくりの根底にあるもの - Yahoo!ニュース
椎名林檎について、このブログで何度も触れたが、最近ずっと彼女の曲を聴いていない。
椎名林檎の『長く短い祭』のPVが素晴らしい - ドリップ式映画・資格日記
彼女の歌が、この頃の自分の気分と全然合わないからである。曲自体が嫌いになったわけではないが、聴きたいと自然に思える機会が全くないのだ。
椎名林檎の軽くて明るい感じの曲ばかり聴いてる - ドリップ式映画・資格日記
この先もう、昔のようにどっぷり浸って彼女の曲を聞くということはないのかもしれない。ただ『あおぞら』とかは、ふいに聞きたくなる。
あとは『化粧直し』とかぐらい。年齢重ねても聞きたいと思える曲は意外と少ない。そういう結論にたどりついた。
自分が本当に好きだったのは、『Dynamite out』の頃で、そこからどんどん興味は薄らいでいる。もう10年以上経つので充分か。
左翼じゃないけど、「国民的」って形容詞がついた途端に嫌になっちゃうんだよね。松井とかまさにそう。国民栄誉賞なんか受けとってほしくなかったよ。
松井の話は置いといて、椎名林檎は今年も大したヒット曲がなかったのに紅白でちゃっうし、ますます「国民的」に近づいている。
大衆ってのは否定するでもなく肯定するでもなく、とにかく近づかないことが一番なんだけど、いつか踏み外しそうで怖くなっちゃう。
紅白に出ないのが一番ってこと、安室はよく分かってる。
出ることが決まっているのなら、個人的に聞きたいのは『あおぞら』『化粧直し』。それが無理なら『歌舞伎町ー』や『罪と罰』ぐらい攻めてほしい。
『NIPPON』とか『カーネーション』でお茶を濁すのが最悪。
紅白にオリンピックを持ち込むのも最悪。だから『東京は夜の七時』もありえない。
選曲さえ間違わなければ、パフォーマンスには期待していいだろう。
カバンを押し当てられることが痴漢並みに嫌
私にとって通勤中一番不快なのはカバンを体に押し付けられることだ。
痴漢は誰にとっても不快だ。それと同じようにカバンを押し当てられることは誰にとっても不快な行為だと思っているのだが違うのだろうか。もしかして、私だけが特別不快に感じているのだろうか。
カバンを押し当ててくる人は圧倒的に女の人が多い。男は通勤カバンを網棚の上に置く人が多いが、女はあまり置かない。だいたい肩から掛けたままの人が多いので、隣に立つと、わき腹にカバンが当たる。
自分に触れているだけでも十分不快なのだが、カバンの形状や材質によっては本当に痛い。
なぜこのようなことが起こるのか、正確なことは男性の私にはわからない。おそらく女性の場合、服に財布を入れる場所が無いのでカバンに入れているのだろう。だからカバンを肌身離したくないのではないか。
でも、それはそちらの事情で合って私には関係ない。ただでさえ不快な満員電車のなかにいる間、わき腹をずっと小突かれ続けているのだ。たまったものではない。
こういうことに出くわしたとき、私はまずわき腹にあたっているカバンを手でずらすことで、当たっていることをアピールするようにしている。ただ、それを気づいてもアクションを起こす人ばかりではない。これくらいなら許されるとこちらを舐めているのである。
たぶん痴漢をやっている人間も同じ感覚なのだろう。痴漢は反抗してこないタイプの人間を狙うのだという。そう考えると、痴漢の被害にあっている気持ちもわかるし、痴漢への怒りも共感できる。
カバンを押し当ててくる人間は、私にとっては痴漢と同類である。疑問なのは、痴漢に対して嫌悪感を持っている女のほうがカバンを他人に押し付けるという行為を積極的にやってるということだ。
痴漢もそうだが、カバンを周りに押し当てる行為も同じくらい迷惑だ。そういう私みたいな人もいる。それに気付いてほしい。
「加害者意識を持て」論
「男はもっと痴漢に対して当事者意識を持とう」みたいな流れの記事を最近よく見るのだけど全然乗れない。
「当事者意識を持とう」ならまだ良い。「加害者意識を持とう」なんて本当に言ってるのが信じられない。
加害者でもない人間に加害者意識を持て、なんていうのはまんま差別なのだが、そういうことに鈍感な人間が有識者ぶって語っている。
すべての人間には、加害者性がある【痴漢から見る日本の病とは~緊急討論#1】 | DRESS [ドレス]
こういう人をのさばらせておく環境が悪い、といえばそれまでなのだけど、重用する出版社なり学者なりは分かってるんだろうか、と疑問に思う。
いや、さすがに紅組弱すぎないか?2017紅白歌合戦
紅白歌合戦を今年も見る。見るけれども、何か特別な期待があるわけではない。ただ単に、『ガキ使』をリアルタイムに見る気にならないのと、昨年、一昨年と見たので、それとの比較がしたいという、ただそれだけの理由。
何が最悪かっていうと、紅組のメンツがクソすぎて話にならないこと。去年グダグダだった有村架純を今年も司会に据えているという点で終わってるが、選ばれた歌手もなかなか酷い。新鮮なメンバーが少ないうえ、AIとSuperflyみたいな似たようなタイプをなぜキャスティングしてしている。
それよりだったら『ソードアートオンライン』だとか、『けものフレンズ』の主題歌を選んだほうが何倍もマシだったと思うが、断られたのかね?
これだとエレカシや竹原ピストル、三浦大知が初選出された白組とのバランスが全く取れないではないか。いちおう、歌合戦って体裁は保ってほしいのだが、「合戦」の部分はおまけみたいものと考えてるのかね?
はてなってお金が絡む事柄に関して雑じゃない?って思った
前回の契約があと10日分残ってたはずなんだけど…
最近はてなブログProの契約を更新しました。
前回は1年コースだったのですが、今回は訳あって月当たり600円の2年コースに登録しました。契約してから気付いたのですが、この2年契約、前回の1年コースの期間終了時から適用されるのではなく、今回の2年コースの契約時から適用されるのですね。(^▽^;)
前回の1年コースを契約したのは2016年7月24日で、今回の2年コースを契約したのが今年2017年7月14日なので、10日ほどまだ期間が残っていたはずなのですが、今回の2年コースの期間終了が2019年7月14日と表示されているので、私の側が10日分損をしたことになります。
前回の契約期間が終わってから、次の契約期間が開始されると、当然のように思っていたので、すこし驚きました。いや、こういう事に関しては、こちらが事前に確認すべきことで、非はこちら側にあるのです。
ただ、私はこれまで、はてなのサービスにほとんど不満を感じたことが無かったので意外でした。はてなほどの企業ならば、お金に関わることはもっと親切に設計されていると勝手に信頼していたので、幻滅しました。
そして残念ながら今回の契約更新を通じて、はてなの不親切な部分を多く発見することになってしまいました。今回の記事では、主にお金に関することで、はてなブログの残念な点について3点指摘したいと思います。
①はてなポイントの有効期間が1年間
②コンビニ支払で任意の額を購入できない
③一方的に主要なサービスを変更・終了する
はてなポイントの有効期間が1年間
基本的にはてなブログProを利用するには、「はてなポイント」が必要ですが、このはてなポイントは有効期間が1年間しかありません。この期間を過ぎた場合、そのポイントはもちろんユーザーの元には戻ってきません。つまり、残ったポイントはすべて、「死に」ポイントになってしまい、はてなの懐に入ってしまうのです。
1年間という期間を長いと感じるか短いと感じるかは、人それぞれだと思いますが、はてなブログProの最長契約期間は2年なので、そういったサービスとの整合性がとれていないのは確かです。こういった点で、はてなはユーザーの利便性を全く無視しています。
このはてなポイントは他のサービスにも利用できるのですが、はてなが提供するいくつかのサービスの中に、ポイントを使ってまで利用したいと思えるほど魅力的なものはひとつもありません。(下のリンク参照)
コンビニで任意の額のはてなポイントを購入できない
前述の通り、はてなブログProを利用するには「はてなポイント」が必要なのですが、この方法はいくつかあります。下記参照
このうち有料コースの金額をぴったり支払える方法は「クレジットカードによるポイント購入」だけで、手数料がかからない支払方法もこれだけです。それ以外の方法、例えばコンビニエンスストア支払いを使う場合、2000円分や3000円分など何通りかの選択肢の中から選んで買うことになります。
例えば、2年コースの14400円を支払いたい場合、ぴったりの額のはてなポイントを購入できないのはもちろん1万5000円という選択肢も無いため、2万円分のポイントを購入することになります。
2回に分けて支払うこともできるので10000はてなポイントと5000はてなポイントを購入すれば良いのですが、その場合は1回250円分の手数料が2回分かかります。つまり合計500円の手数料がかかるのです。
さらに上でも述べた通り、1万5000円のはてなポイントを購入した場合でも、2年コースの14400はてなポイントを利用したあとに残る600ポイントは、1年以内に使わなければ失効します。
一方的に主要なサービスを変更・終了する
はてなカウンターを2017年8月7日に終了します - はてなカウンター日記 - 機能変更、お知らせなど
上のリンク先の記事にも書かれているように、はてなカウンターは今年の8月7日をもってサービス終了となります。はてなブログ利用者の中には、他のアクセス解析サービスを利用せずに、はてなカウンターで自ブログのPVを確認していた人も多いと思います。私もその一人でしたが、残念なことにこのサービスは今後使えなくなってしまいます。
私の場合、今回の2年契約はそれを知った上でのものなのでまだマシですが、この発表の直前に有料コースを契約した人は、可哀そうだと思います。返金や代替サービスの無料提供など、なんらかの救済措置があっても良さそうなものですが、それもありません。
このようにはてなは、主要なサービスの終了をその数か月前にユーザー報告し、すでにそのサービスに対する対価を支払ってしまった人々に対して、補償が必要だとは思っていないようです。
いま何気なく利用している機能も、はてなからの一方的な通告によって利用できなくなる可能性もあるということです。
まとめ
以上のように、はてなは有料サービスの契約やサービスへの対価に関することなど、お金に関することは雑というか、はっきり言ってセコイ!です。私が契約したのは最近なので、あと2年間はこういった不快な思いを味わうことはないと信じていますが、今現在有料プランに登録することを検討している人は、はてなにはそういう暗黒面もあるということを頭に入れておいた方が良いと思います。
大嫌いなあべりょうの動画を強制的に見せられる苦痛
本当にムカムカする。
この歌手の名前をブログに書くことは、その歌手の動画の再生数をアップさせることに繋がる可能性があるので、本当は書きたくないのだが、今日はあえて名前を出そうと思う。
その歌手の名前はあべりょうだ。
なぜ嫌いなのか
この人の曲は絶対に聞きたくない。それくらい不快に感じる。何が不快かというと、政治的な内容を、オブラートに包まず、美しい言葉で飾ることもせず、馬鹿の一つ覚えみたいに、直接的かつグロテスクに歌うからだ。これはイデオロギーがどうという問題ではない。芸の無さ、歌の下手さを、その時々に流行している言葉を並べ立てることでごまかそうとしている点が、ただただ醜いのだ。
見たくないのに…
ここまで書いてきて、「そんなに嫌なら曲を聴かなきゃいいだけだろ」と思う人もいるかもしれなが、それが難しいからこうやってブログで書いているのである。というのも、なんとこの歌手の曲、Youtubeの広告としてながれるのである。もう、たまったもんじゃない。
その点は多くの人たちが共有しているみたいで、Youtubeの公式チャンネル内の動画のコメント欄も似たようなことを書いている。つまり「動画を投稿するのは自由だけど、広告として掲載するのは止めろ」ということ。
Youtubeのシステムにも問題がある
今のYoutube広告はほとんどが、5秒間、視聴者に強制的に広告を見させるようなシステムになっている。それゆえ彼の幼稚で煽情的な曲の一部を無理やり聞かせられることになる。見るものにショックを与えるような言葉が、その5秒の間に必ず挿入されているのだが、目的の動画をみるためには、じっと耐えるほかない。つまり、フジテレビ的な『聞きたくなきゃ聞かなければ良いじゃない!』が全く通用しないのである。
なぜ、彼のような一般的にはそれほど名前が知られていないような(少なくとも私や私の家族がまったく知らない)歌手の曲が、Youtubeの広告として採用されているのかは謎だが、とにかくYoutube側に広告費をきっちり払っているからこそ、ここまで大規模な広告が打てるのであろう。
つまり金さえ払えば、ユーザーに不快なものでさえ見せられるようなシステムがYoutube内にあって、彼はそれを単に利用しているユーザーのひとりに過ぎない。ただ彼の動画は、その中で群を抜いて不快なだけである。
改善を求む
ニコニコ広告よるランキング操作もそうだけど、たいていの人が不快だと思うような動画を、カネ次第で、不特定多数に拡散できるようなシステムをどうにかなりませんか?もしくはそれを是正するような制度を導入しませんか?NGが一定数に達した段階で、広告の配信を一旦停止して、広告主側に改善を求めるとか、いくらでも方法はあるでしょう。
それもしないで今後もあべりょうの動画を見せ続けるというのなら、それは運営の怠慢と言わざるを得ないのではないか。
もう二度とあべりょうの歌を聴きたくない。見たくない。
ゲスと有能は両立する―安倍首相の「忖度」自虐ギャグの効果
安倍首相は17日夜、都内の商業施設のオープニングセレモニーに出席し、地元・山口県の物産も積極的に販売するよう「忖度(そんたく)していただきたい」と挨拶した。野党側は「森友学園の問題が終わったと勘違いしている」と批判している。
安倍首相「忖度していただきたい」笑い誘う(日本テレビ系(NNN)) - Yahoo!ニュース
「首相としての品位に欠ける」と左派が批判する気持ちは至極当然のことと思うが、個人的には感心してしまった。安倍首相はゲスだと思うが、こういうことは本当にうまい。
「忖度(そんたく)」は、森友学園関連で注目されて以来、「権力者の意図を組んで行動すること」ぐらいの意味で、主に現政権を揶揄する目的で使われてきた。森友学園問題は、主に安倍夫妻が関与している可能性があり、そこから政権打倒に繋げられるかもしれないという理由で盛り上がった。だが結局、関与を立証するような決定的な証拠が見つからなかったことから、一気に沈静化してしまった。
しかし「忖度」という言葉が脚光を浴び、人口に膾炙することになったことは、今回の一件で左派が得られた数少ない成果のひとつだった。内閣支持率はあまり変化しなかったが、政治家と官僚の間の汚れた関係を国民に印象付けることはできた。その成果の象徴が「忖度」という言葉の流行だったのである。
この「忖度」という言葉は、安部政権にとっての「目の上のたんこぶ」として今後数か月の間、ボディブローのように安倍政権をじわじわと苦しめるだろう。そのように左派や野党は考えていたはずだ。
実際、例年の傾向通りであれば、「忖度」は2017年度の流行語大賞に高確率で選ばれるだろう。そうなれば、野党はまた安倍首相や政権与党を批判する機会を得られる。年末に放送するような1年間の動向を振り返るようなテレビ番組も同様だ。だから、「忖度」という言葉は、左派にとって今年1年間は使い続けられるような、非常に都合の良い言葉でありつづけるはずだった。
しかし、北朝鮮問題によって、それまでのムードが一気に吹っ飛んでしまった。核爆発という現実的な脅威が、関心の中心として存在感を発揮するようになったことで、森友学園問題に対する世間やメディアの熱は一気に冷めてしまったのである。
安倍自身もこれを好機と、シリアの化学兵器使用などにも乗じて次のようなことを言って、積極的に火に油を注いでいる。
そして今回の安倍自身による「忖度」発言である。このタイミングが絶妙だ。こちらでは逆に、森友問題を引っ張り続ける人々に対して冷水を浴びせかけた。安倍自身が、これを自虐ギャグと言いだしてしまったら、もう政権批判の道具としての「忖度」という言葉は死んでしまう。それを実に適切なタイミングで、そして地元のイベントという批判されにくい場所で、さらにメディアに見せつけるようにやってのけた。
誰かの入れ知恵なのかもしれないが、この計画の緻密さと、計画を実行してしまう面の皮の厚さはさすがとしか言いようがない。それはある意味において、有能であると言っても良いと思う。スキャンダルや問題発言でイメージダウンする議員は、与党にも野党にもいるが、それを回避する能力という点においては、安倍に勝るものはいない。だからゲスであることと有能であることは両立するのだ。