人工知能の将来性を過大評価することの問題

人口知能に関する話題って、そんなに軽々しく扱って良いものだろうか。

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複数の職業が消えるという報道が与えるインパクトは相当に大きい。公的なメディアが報道すれば、その影響は広範囲に及ぶ。たとえば高校などでは、進路指導で特定の学部学科に進学することを引き留めるような事態が起こるかもしれない。またハローワークジョブカフェなどでもキャリアカウンセラーを通じて、就労希望者の進路に影響を与えているかもしれない。

 

で、人口知能について軽々しく予想しているメディアや個人はその責任を一体どうやってとるつもりなのか?

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人工知能の将来性について、専門家が筋道立てて説明しているような記事はほとんどみられない。人工知能にまつわる技術の問題と社会の問題を接合して語れる人間がいないのだろう。だから「人工知能の発達によって仕事が無くなる」というような軽薄な記事ばかりが流通する。たいした根拠もないにも関わらず、である。

 

しかし、これらのような根拠のない記事でも読み手は心を動かされ、社会は実際に変容してしまう。これは社会学における「予言の自己成就」という考え方に当てはまる。「予言の自己成就」とは、最初の誤った状況の規定が新しい行動を呼び起こし、その行動が最初の誤った考え方を真実なものとすることである。

 

人工知能によって特定の職業が無くなる、という噂が広まれば、人口知能の能力に関係なく特定の職業に就こうとする人は減る。そうなると企業は実際にその職業へ人工知能への代替を検討し始める。こうして人工知能を開発する会社への投資が行われ、研究が促進されることで、実際に人工知能が生み出され、ある職業は人口知能で代用されるようになる。これが人工知能における「予言の自己成就」の過程になるだろうと私は予想している。

 

これって喜ぶべきことなのだろうか。人工知能の開発を無理やり促進させることははたして社会全体の幸福につながるのだろうか。人工知能の能力を過大視するメディアや個人はもっと社会の人工知能化の片棒を担いでいるということの自覚をもち、その是非についても考慮するべきなのではないか。