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『マイ・ボディガード』―復讐者が動揺する瞬間

映画

 

 

マイ・ボディガード 通常版 [DVD]

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登場人物の揺るぎなさ―女は女である

ゴダールの映画に『女は女である』というタイトルの作品があるが、この『マイ・ボディガード』においても同じことが言える。つまりデンゼル・ワシントンデンゼル・ワシントンであり、誘拐犯は誘拐犯なのである。誘拐犯は誘拐犯であるから誘拐を遂行し、デンゼル・ワシントンはデンゼル・ワシントンであるから、復讐を遂行する。そこに疑いを挟む余地は無く、彼らは与えられた役割を確実に遂行する。

 

揺るぎなさが壊れるとき

しかし、この映画の中で一番心動かされるのは、その揺るぎなさが破られる瞬間にある。終盤、デンゼル・ワシントンが犯人の家族の家に突入し、誘拐犯のリーダーの家族を人質にとって、電話でリーダーの男に居場所を尋ねる。この時、思いがけずダコタ・ファニングが生きていたことが判明し、復讐は完全に達成されることなく空中分解する。

 

なぜデンゼル・ワシントンは死なねばならなかったのか

 この映画を見た多くの人たちはこう思っただろうし、私も最初は思った。しかし、そもそも男が復讐者になった理由は、ダコタ・ファニングが殺されたからであり、彼女が生きていることが分かった以上、復讐者は復讐者たりえない。映画の序盤から示されていたように、デンゼル・ワシントンはメキシコの地に赴いたときから、死に場所を探していたのであり、ダコタ・ファニングと出会ったことで一時的に生きる理由を見つけただけである。しかし復讐によって彼はもう戻れない場所にまでたどり着いてしまった。それは彼女が生きていることが分かったとしても、どうにかできる種類のものではないのである。

 

死は絶望か、救いか

これは分からない。でも振り返ってみると、デンゼル・ワシントンの死は、最初から宿命づけられていたようにも思える。ラスト・シーンのあの長い橋を渡る間に、彼は振り返る余裕もあっただろうし、踵を返して逃げ出すこともできたはずだ。だけど、彼はそういう素振りを全く見せず、もくもくと歩き続けた。彼は何もかも全て受け入れていたのである。そういう点では死が彼に与えられるということは彼にとっての救済であったのかもしれない。この映画は、一度死に損ねた男が、死を全面的に受け入れる映画なのである。

 

死に損ねた男が死ぬ映画

似たようなテーマとして思い浮かんだのが、黒沢清の『ニンゲン合格』。ただ、こちらの方が『マイ・ボディガード』より断然古い。黒沢清フィルモグラフィーの中でもかなり地味な部類に入るけど、好きな人は好きなんじゃないか、と。


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