何に恐怖を感じるかがイデオロギーを決める

何に対して恐怖を抱くのか、ということが政治の態度を決めている。例えば右派は中国による侵略を恐れ、左派は国内の軍事力の暴発を恐れている。また、原発推進派は電力供給の不安定化による経済への悪影響を恐れ、反原発派は放射能による人体への悪影響を恐れている。ここから分かることは、人々の政治的態度を決定づけているのは、理想へ近付きたいという想いではなく、恐怖から遠ざかりたいという切迫感なのである。恐怖からできるだけ距離を置きたいという心の性質が、その人のイデオロギーに強い影響を与えている。

 

私が面白いと感じるのは、恐怖から可能な限り遠ざかりたいという感覚は共有しているにも関わらず、右派と左派では互いに全く共感を感じないということである。例えば右派と左派では、国内の勢力(自民族のナショナリズム)に恐怖を感じるか、国外の勢力(他国のナショナリズム)に恐怖を感じるかによって、敵と味方がきっちりと分かれている。

 

ここで問題なのは、個人が何に対して恐怖を感じるか、ということが極めて感覚的に決められているように感じられることだ。例えばナショナリズムの暴発は国内発のものにしても、国外発のものにしても、そう簡単には予想可能なものではない。それゆえ、他国の民族主義が暴走する可能性が存在するが故に、自国の重武装化を支持するという考え方は、イデオロギーを異にする他者を納得させることは難しいであろう。それにも関わらず、我々は起こるか起こらないか分からない極限状態から自分のイデオロギーを決定せざるを得ないのだが、このことが安保に関わる議論の不毛さを生んでいるのだろう。