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説教できる人、できない人

 松屋で20代前半と思われる小柄が女性が、おそらくは学生アルバイトである男性たちに説教をしていた。自分の牛めしが届いて食べ始めたころ、隣に座っていた男性が、店員に「すみません、お冷をください」と呼びかけた。男性の目の前にはすでに食事が用意されていたが、飲み物が届いていなかったのである。この時、私も自分の飲み物が用意されていないことに気づき、「すみません、お冷ください」とその店員に言った。どうやら店員は新人らしい。客に飲み物を提供するという行為がまだ身についていないようだった。そのことに気づいた社員と思われる20代の女性は、男性に向かって説教を始めた。正直なところ、聞こえる範囲でそういうことをやられるのはかなり不快だ。それは単なる指導ではなくて、完全な説教だった。一方で私は同世代の男性に説教する女性に興味をそそられた。というのも、自分にはおそらく同世代の人間に説教することができないし、説教する人間の思考回路もよくわからないからだ。

 なぜ女性の指導を説教だと思ったのかというと、高校生ぐらいまでの教師との間の苦い経験から直感的にそう思ったというだけである。彼女の話し方にはどことなくトゲがあって、それは私が出会った多くの、心無い教師たちの話し方に似ていた。教師たちと彼女に共通していることは、指導にあたって、単に技術を伝えることだけではなくて、技術が未熟な者に対して「劣った者」というレッテルを張り付けているということであった。大学や自分のアルバイト先ではそういうタイプの人間はほとんどいなかったので、自分と同世代、もしくは自分より下の人間がそういったスタンスで指導をしていることに、少なからずショックを受けた。自分ではもはやそういったやり方で他者を強制、あるいは矯正することは非合理的だと考えているわけだが、自分と同じ世代にもそういった指導法が理にかなっていると考える者もいるのである。

 説教というのは、説教を受ける側のインセンティブ(やる気)を下げる行為であり、そういった強制力によって制限を受けた者は、自発的に良い行いをするチャンスを奪われると思うのだが、どうなのだろうか?説教をする側の考え方って、一体どんな感じなのだろう。