プロレスとテラスハウスが苦手

プロレスとテラスハウスがどちらも苦手だ。

共通点は意味がありすぎるということ。

さっきテラスハウスを見ていて気付いた。

 

プロレスには台本があるけど

テラスハウスには台本が無いという設定。

本当かどうかは私には判断がつかない。

 

出演している若者たちは、共同生活をしながら、

それぞれ抱えている問題や

人生における信念みたいなことを語り合う。

 

彼らが話していることは、それなりに現実味があって

それぞれがユニークで、「台本がない」ということに信憑性を感じさせる。

 

登場する若者たちは当然、自分の抱えている悩みを他人に

共有されにくいという前提で話す。また、彼らは理解されにくい

悩みをあえて選んで、メンバーたちに語っているのだろう。

 

めんどくさいのはそういった自意識までもが画面から伝わってくることだ。

意味のあることを相手に話そうとする意図っていうのは

第三者から見ると相当に気持ち悪いと個人的には思う。

 

それがバラエティのように、笑いとして昇華される分には

全然問題ないが、テラスハウスのように半分フィクション

半分ドキュメンタリーという形式で放送され、なおかつ

それを真面目に受容する視聴者がいるという状況が理解できない。

 

ほとんど同じような印象をプロレスについても感じる。

まともなプロボクサーは、パンチのひとつひとつに意味を

こめてはいないが、プロレスラーはひとつひとつの

技に名前があって、実況はその技にまつわるエピソードを

延々と語っていく。そして観客はそこに台本があるということを

しりながら大真面目に、目の前で起こっていることを受容する。

 

テラスハウス視聴者のメンタリティとプロレスファンのメンタリティ

はたぶん同じなんだと思う。