アニメの背景―『ガッチャマンクラウズ』論

アニメを継続的に見ている人間からすれば、「いまさら何を言っているんだ」と呆れられるかもしれないが、アニメにおける背景のトレースっておもしろい。

 

これまで背景のアニメ作家と言えば新海誠であった。新海の場合、だれもが美しいと感じる風景をひたすら描くという感じで、美しくはあるがそれは単調で非現実的なものであった。

 

最近のアプローチに感じる面白さは新海のそれと根本的に異なる。『ガッチャマンクラウズ』の背景に感じるのは、「機能的リアルさ」とでも呼ぶべき新しい種類のリアルさの登場である。

 

たとえば、『ガッチャマンクラウズ』の第一話では、立川駅周辺の風景が描かれている。線は比較的シャープに、色はのっぺりと、全体としては非常に平面的に描かれているので、けっして写実的ではない。しかしそこには人工物特有の作り手の意思が反映されている。 

 

建物というのは人工物であり、設計者によって特定の意図が込められている。それは使用者にとってのユーティリティであったり、法的な要請であったりする。このような現実の建築物に反映されているさまさまな意図は、背景を描く過程で意図的に排除される傾向が強いが、この『ガッチャマンクラウズ』では、そのような建築物が持つ様々な意図が、むしろ積極的に描かれている。

 

そしてそれが作品全体のリアルさに繋がっている。従来のアニメ作品であれば、背景は写実主義的であることが、作品全体のリアルさに貢献すると考えられてきた。だがそれによって実現できるのはリアルの一側面のみである。それは、静物としてのリアルであり、物体の表象を正確に表現することを目的とした、写実的リアルである。

 

一方で建物の機能をリアルに表現することによって、構成される世界観は、写実的リアルではなく、機能的リアルである。このリアルの実現によって『ガッチャマンクラウズ』は、単なる認識としての世界ではなく、操作可能なものとしての世界の表象に成功している。