筋トレ初めて2か月の感想

 今年の1月から、公共のジムで週5くらいの頻度で筋トレをやっているのでその感想を書く。

 

 昨年の初めくらいから体重が気になり始めずっとジムに行きたいと考えていたのだが、敷居が高いと感じてずっと行けずにいた。しかしYoutubeの動画を見てどんどん筋トレをしたいという欲求が高まり始めて近隣自治体運営のジムに行ったのが去年の12月。そして正月が明けた1月中盤あたりから継続的にジムに通うようになった。

 

 何に敷居の高さを感じていたかというと、やはり周囲の目やジムの雰囲気に不安を抱いていたからである。この点、実際に行ってみるとほとんど問題にならなかった。トレーニングをやっている人のほとんどは黙々とトレーニングに励んでおり、他人と交流することはまずないのでその手の煩わしさを感じることはないとわかった。

 

 しかし一方で、器具を占領したり、トレーニング用のベンチに物を置いたりするといったタイプの迷惑行為はよく見かける。そういう行為をしているのは、だいたいトレーニング経験が長いと思われる人たちで、仕事終わりの夕方ぐらいから多くなる。自分の世界に入り込んで周りに目がいかなくなる人は割といる。公営ジムには女性の姿が少ないが、こういったタイプの人たちが原因のひとつなのだと思う。

 

 ジムの環境に対して感じる大きな不満というのはそれぐらいで、あとは満足している。何よりこういった施設が100円で使用できるというのは驚くべきことだ。民間のジムであれば少なくとも月5,000円以上はかかるのだが、公営ならたとえ週3で言っても月1500円以内におさまる。その他、筋肉増大を目的とするならプロテインは必須なのだが、その費用も1回あたり100円に収まるので、たとえ月15回ほど行ったとしてもプロテイン代は1500円程度となる。つまり筋トレに懸かる費用はだいたい月3000円とほかの娯楽に比べてもかなり安いといえる。

 

 そういった点が私が今まで(といっても2か月程度だが)トレーニングを継続できている理由である。とにかく筋トレはコスパが良い。

筋トレ初心者の感想

 公営の体育館で筋トレをする。今日は上半身の日で、明日が下半身の日。やった種目は10を超える。

  • チェストプレス
  • ダンベル・ベンチプレス
  • ダンベルフライ
  • バーベル・アームカール
  • ダンベル・アームカール
  • ショルダープレス
  • サイドレイズ
  • ベントオーバーロウ
  • アップライトロウ
  • フレンチプレス
  • 腹筋

 

 ちょっと気になっているのがダンベル種目が多いことで、ジムのダンベルを占領してしまっている形になっているということ。といってもダンベルはすべての重りがペアになっているし、トレーニング用のベンチにしても使用しているのは3つあるうちのひとつなのでそこまで気にする必要はないのかもしれない。

 

 あといまだにBIG3にちゃんと取り組めてないのも気になり始めてきた。BIG3というのは、筋トレの中でもっとも有名なバーベルを使用する3つの種目のことを言う。その3つというのがスクワット、ベンチプレス、デッドリフトである。この3種目にいまだに取り組めていないのは、バーベルを使うということで落とした時のリスクが高いというのと、バーベルの使い方がいまいちわからないということが原因だった。ただバーベルの使い方については、実際にやっている人を観察することでなんとなくわかってきた。

 

 このうちスクワットは筋トレを初めて割と初期のころにやってみたのだけれど背中にバーを乗せるという行為がしっくりこなかったことでいったん辞めてしまったのだが次当たりチャレンジしてみたいと思う。デッドリフトは今日初めてバーだけでやってみてできそうだったので次回も引き続きチャレンジしたい。

 

 そしていまだにできていないのがベンチプレスである。ベンチプレスをこれまでやってこなかった理由はいくつかあって、まず単純にパワーラックを他の人に使われている時間が比較的長いということ、そしてケガをする可能性があって怖いということ、最後に重りなしでやることに関して人目が気になるということがあった。でも、もうそろそろやってみようと思っている。

ADHDによる本の延滞を防ぐために図書館がすべきこと

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 私はいくつかの本を読んだ結果、自分はADHDではないのかと疑うようになった。というのもADHDに特徴的にみられる症状が、私にいくつも当てはまるからだ。そのなかでも厄介なもののうちのひとつが「先送り癖」である。これは、いまやるべきこと、やったほうがいいことをやらないで、あとでやればいいやと考えてしまうことである。そう考えて先送りしたことは、数時間後や次の日にやれればいいのだが、実際に手を付けるのはずっと後になってしまう。これが「先送り癖」である。

 

 この「先送り癖」が原因で学生時代の私を困らせたのが、本の返却期限でについてである。返却期限になったらすぐ返せばよいのだが、少しぐらい遅れてもいいや、と思っているうちに1週間、1か月と時間がたってしまい、貸出禁止のペナルティを課せられることになる。こんなことが何度もあった。「先送り」が長引いてしまう最大の原因は、返却にあたって、学校司書などと対面しなければならないことである。学校司書というは延滞した本を返却するとき、だいたいの場合、怒る・説教するなどのネガティブな反応を示す。このネガティブな反応を嫌うために、なかなか本を返せないというのが、延滞期間が延びてしまう大きな原因となっていた。これは客観的に考えればおかしいことなのだが、そこを主観的に考えてしまうのがADHDの考え方の癖なのではないかと思う。

 

 だから高校時代までは、本を読むことは好きでも図書館という場所は好きになれなかった。それは図書館という場所には、ネガティブな反応を司書という存在とセットだと考えていたからである。大学生になってから、自動貸し出し機や返却ボックスのためにずっと楽になった。だけど、高校生以下で私と同じような理由で苦しんだ人、現に苦しんでいる人は多いのではないかと思う。そう思って今回のこの記事を書いたのだ。

 

 この問題を解決するための手法はシンプルで、延滞している本を返却するにあたって、怒られるような状況を作らないことである。たとえ延滞している本でも、普通の本と同じように返却するようなルールで運用する。もしくは一律で返却ボックスを使うように指示することが、私のような「先送り癖」のある延滞者のための最良の方法だと思う。

 

 大学の図書館で延滞した本を窓口で返却する人もいるが、受付はその際も余計なことは言わずに事務的に処理するのが肝要だと思う。加えて延滞したことを謝る人もいるが、その時もペナルティ期間などを淡々と伝えるだけで良いと思う。とにかく返却とネガティブな感情を関連付けさせないことを意識してほしい。

 

 延滞本の督促をする分に関しては全く構わないと思うが、「先送り」を助長してしまうようなシステムは除去した方が、僕のような「先送り癖」のあるADHDには有効だと思うし、図書館も延滞本を減らせて助かるのではないか。そう思ってこの記事を書いた。

『銀魂』が嫌いな理由を書くには良い時期だと思ったので

 最近、実写化されて好評だという『銀魂』は、僕にとっては10年以上ずっと微妙な作品だ。ぶっちゃけて言うと、あまり面白いと思ったことがない。それは週刊少年ジャンプに連載を始めてから一貫してそうで、もっと他に読むべき作品があるだろと常々思ってきた。

 少し前にこの『銀魂』の連載が年内に終了するという話を聞いたのでこれを機に自分がなぜこの作品を好きでなかったのか振り返ってみたい。

 

①ツッコミが寒い

 この作品の大きな特徴として、登場人物がテレビに出るお笑い芸人のようなツッコミをするという特徴がある。これが寒い。恥ずかしくなる。

 なぜ恥ずかしくなるかというと、笑える理由をいちいち説明されるからである。説明されなくても見れば分かることをいちいち説明されることで笑えなくなる。

 

②臭いセリフなのに中身が薄い

 登場人物が臭いセリフを言うのは百歩譲って許すとしても、そのセリフに驚くほど内容が無い。同じ決めゼリフにしても、久保帯人の『BLEACH』方が何倍も詩的で魅力がある。『銀魂』の臭いセリフは説教臭いうえにダサい。

 

③設定がありがちである

 江戸の世界観とSFとの融合という点ではテレビゲームの『がんばれゴエモン』に類似しているし、宇宙人の襲来と日常化という点では『ケロロ軍曹』に近い。また幕末の実際の人物をモチーフにしているという点では『るろうに剣心』。またギャグ漫画の中にシリアスパートが挿入されるという点では『世紀末リーダー伝たけし』と同じ構造である。

 

 他にもいろいろ欠点はあるが、ここまでにしておく。こういった『銀魂』が持つ問題をまとめて言うと、「いろんな影響を受けている割には、角が無い」ところだ。『銀魂』は、尖ったお笑いや尖った漫画から使えそうな部分を取り入れつつ、その角を丸めて万人に伝わりやすい形にして表現として提示している。それは作者が良かれと思ってやっていることなのだろうが、個人的には全く評価できない。尖った部分があってこそギャグ漫画なのだと私は思う。

 

 例えば、一時話題になった野々村議員のものまねをなぜお笑い芸人があまりしなかったかというと、野々村議員のものまねをしても決して面白さで本人に勝てないことを分かっているからだし、オリジナルが持つ面白さを再現できないということに気づいているからである。それをアニメでやってしまうあたり、そして読者がそのおもしろさを野々村議員に匹敵するか、それを超えてると錯覚してしまうあたりに、どうしようもないセンスの無さを感じてしまうのだ。

 

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テレビのニュースからどんどん遠ざかっている

日常的にテレビを見る習慣がなくなってだいぶ経つ。今、自分からテレビの電源をつけるのは週に1回あるかないか、というところである。ただ、家族が見ているときは自分もそれに合わせて見ている。

 

数日前も祖父が居間でテレビをつけてニュースを見だしたので、私も新聞を読みながら耳だけで聞いていた。そしたらNHKで例の虐待のニュースを流し始めた。

 

www.huffingtonpost.jp

 

聞いていて非常に不快な気持ちになった。それはもちろん、親の暴力や子供の惨状について不快ということもあるのだが、それ以上に「なんでこちらが心の準備が何もできていないのに、こんな重いニュースを受け止めなければならないのか」という気持ちの方が強かった。

 

そしてこのニュースを放送したNHKへの怒りも湧いた。なんでNHKはこのニュースをこんなに扇情的にとりあげるのか?もっと端的に事実だけを述べればいいのではないか?虐待児童の発言まで具体的に述べる必要があるのか?

 

NHKはニュースを何かはき違えているような印象を強く持った。

 

ネットであれば、記事の見出しを見て、読むか読まないか判断できる。タイトルの中に性的要素の強いキーワードや暴力的なキーワードがあったら読むのをやめればよい。しかしテレビのニュースはそうはいかない。だからテレビ番組、特にNHKのニュースは多くの人に開かれているべきなのに、NHKはそういう原則をまったく無視している。

 

そういうのは民放のニュースや、ワイドショーに任せれば良いのであって、NHKのニュースがワイドショー化する必要はまったくないのだ。

 

ただ一方で民放は民放でひどい。今朝たまたまテレビをつけたら最近亡くなった「紀州ドン・ファン」と呼ばれる人の、非常に低俗な噂に関するニュースが流れてた。くだらないと思ったので、チャンネルを変えたら、別のチャンネルも同じ内容を扱っていて心底うんざりした。本当に最悪だ。

 

だけどこのニュースがこんなに流れているのは、世間一般にとってそれだけニュースバリューがあるということなのだろう。だからズレているのは世間ではなく私の方なのであろう。

 

この原因がネットにあることは疑いようのないことだが、じゃあいまさらネットを捨てて世間に迎合できるかといったら、不可能なのでもう致し方ないのだと思う。

 

これからさらにテレビから遠ざかってしまうのだろう。

映画『MIRЯORS』にも良いシーンはある

 以前見た記憶がちょっとだけ残っていて、その時は良い印象をもっていたので今回も見たのだけど、だいぶ酷かった。

 

 内容としては鏡のなかにいるもう一人の自分が襲ってくるというもので、アイデア自体は悪くないのだが、ストーリーが壊滅的に面白くない。

 

 ジャンルとしては、最初はホラーなのかと思ったが、見終わってからミステリーとホラーの中間みたいなものが作りたかったのかな、と想像した。

 

  結果的にホラーとしてもミステリーとしても中途半端な映画ができてしまったという印象を持った。

 

 ミステリーに関して、心霊現象の原因が分かってもなんの感情もわかなかった。またホラーとしては緊迫感が欠けていた。この手のタイプのホラーは、特定の施設に閉じ込められることが多いが、この映画はけっこう施設とその外を行き来するので、まったく追い込まれているという気にならない。そこに問題があったのだと思う。

 

 方向性としてはジャパニーズホラーの『リング』のようなものを目指していたのかもしれない。ただ、ストーリーも演出もまったく『リング』の水準には届いていなかった。

 

久々にクソ映画と呼べるようなものを見て疲れた。ただアンナの実家のシーンや、修道院のシーンは割と良かったので、クソ映画でも見るべき部分があるということは再確認できた。そこが一番大きいと思った。